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防衛機制とは

 [ 関連用語
自分自身の心を、さまざまな方法で守ること。
通常は、無意識のうちに発生します。
不快な感情、気持ち、体験を弱めたり避けることによって、心理的に安定した状態を保つために発生する心理的な作用です。

防衛機制とは、「不安や抑うつ、罪悪感、恥などのような不快な感情の体験を弱めたり、避けることによって心理的な安定を保つために用いられるさまざまな心理的作用」で、通常は、意識して生じることはありません。
自分にとって、苦痛な感情を引き起こすような受け入れがたい観念や感情を受け流すために、無意識的にとる心理過程をいいます。

◇葛藤や欲求不満、不安、ストレスなどの感情的に嫌なことを減らしたり避けたりするために心の中で無意識に働く、こころの安全装置を防衛機制という。



原始的防衛機制とは、生後5か月くらいまでの乳幼児でも用いることが出来る基礎的な防衛機制の総称である。

防衛には自我が超自我に命令されて行うものと、自我それ自身が行うものとで分かれる。人間にはエス(イド)という心の深層があり、そのエス(イド)から来る欲動から自我が身を守ったり、それを上手く現実適応的に活用したりする方法が、防衛という形で現れる。防衛自体は自我の安定を保つ為に行われるので、健全な機能と言えるが、時にはそれは不快な感情や気分を人間に与えることもある。


『幼児化』甘えたりする反応
少しでもいやなことがあると、それを人のせいにする『投影同一視』
好き嫌いが強すぎて全体としてみることが出来ない『分裂』
都合の悪いことは忘れる『否認』
他者に対して期待を持ちすぎる『理想化』
ちょっといやなことがあると相手を全面的にいやになり否定したり『脱価値化』

2011/05/13 | Comment (0) | Trackback (0) | Edit |
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自己投影・投影同一視による攻撃

 [ 関連用語
●自分の非を認めたくないとき、他人に非を押し付ける行為。

★人に言われて図星だったこと、嫌だったことを執念深く覚えていて
ぜんぜん関係ない第三者に隙あらばぶつけてやろうとする
だけどあほなので使いどころを見誤り、「何をいっているんだお前は」状態になる

●自分の中で生じた受け入れがたい衝動や不快な感情を、他人が抱いているのだとすり替えてしまう心理作用。取り入れとは反対の防衛機制で、投影は自分の中のものを外に出す防衛機制です。

●生きていくためには自分は完全に善なる存在でいなくてはならず、自分の中にいわゆる悪い気持ちが生じることが許せません。(例えば「ずるさ」「汚さ」「醜さ」「過ち」「非」「欠点」「弱さ」など。)
こうした悪い気持ちを自分の中から排除するために、その気持ちはあたかも他者が持っているかのように錯覚することで自分の身を守る方法を投影同一視と言います。噛み砕いて言えば、自分の中の気持ちを相手の中に投げ入れるということです。


自己投影・投影同一視の具体例


たとえば自分の中に「自分だけでいい思いをしたい」とひそかに願っている人が

「私はみんなのために頑張っている。
 それなのに彼らは自分のことしか考えていない」と言い出す、といったことだ。

その人は自分こそが自己中心的だということに無意識には気づいているのだがそれをなんとしても認めたくないと思っている。
だから、「あの人ってとことん自己中心的だよね」と外部の鑑に自分の内部を映し出しそれを攻撃することで「だから私は自己中心的ではない」と確認し安心しようとする。

投影同一化と自己嫌悪 ~自己を映し出し鏡としての他人~
「アンタは他人に対する思いやりに欠けてる、利己的で共感が低すぎ。
考えなしな発言に驚かされたことも一度や二度じゃないよ」
「何かあるとすぐに拗ねる、駄々を捏ねる、
挙げ句の果てには被害者ぶって私を悪者にしようとする。
アンタと話してると、時々幼稚園児の相手してるような気分になるよ」

上は自己愛に言われた言葉だが、そっくりそのまま本人に返してやりたいと思ったもの。他人を詰るのは大好きで、そのくせ自分はちょっと注意されただけでも怒り狂い、被害者ぶる人だった。
そして、被害者の自分は加害者に制裁を加える権利がある!とさらに他人を貶める。
過去 言われて悔しかったことを、
自分より下と見なしたものに対して、同じことする。

「相手の立場になって考えろ」←そのくせ本人は相手の立場は考えない
「あなたは人の気持ちが分からない人だ」←そのくせ本人は他人の気持ちを考えない
「あなたは いつも上から目線だ」←そのくせ本人は いつも上から目線
よく身分の卑しい人達が…などと言ってました。
しかし、他人を見下す人は最低だわ!と言ってました。
自分は自分なりの理屈があり正当化するけど
私や他人のズルさ、弱さ、間違いについては
激しく批判し説教たれます。
私の知ってる、モラハラさんは
「自分を大事に出来ない人は、人を大事にすることは出来ない」
と自己評価の低いある人に、偉そうに言い放ってたのを覚えています。
責任なすりつける大辞典的存在の自己愛に「人生で一番やっちゃいけないのは人のせいにする事だ!!」と説教食らったww
私の友人はズル賢いので自己愛の特徴を隠すのが上手かった。
だから長年気付かなくて被害に遭いつづけ辛かったです。
『人を利用するなんて愚かしい事なの。わかるよね?』
『自分の過ちを認めない人いるよね?そんな人は成長しないよ』
など立派な事を言ってましたが、お前の事だよ!と言いたいです
「始まったら大変」「だから、こっちは何も言えなくなる。」
「変な人にチャンネルが合って、その話に吸い込まれてしまうんだよな」
「物を知らない」「文章を読み取れない」
「無意識に話題をそらす。探られたくないことがあるのか。」
「ちょっと忙しくなると、すぐに八つ当たりをし出したり、仮病をつかう」

以上は、こちらが聞いてもいないのに自己愛がしゃべっていたことなんだけど、
なぜか自己愛自身に一番あてはまる
過去に他人たちから呆れられて言われたことを、
そのまましっかりと覚えてリピートしているだけなんだろう
「投影」について、私の経験から得られたことを書きます。
自己愛は、自分の思考回路と同じように、相手も考えているに違いないという発想をもつようです。
たとえば、

*自分には強い被害妄想がある→相手もそう思っているに違いない
*自分には強い「評価されたい」願望がある、それは他人を陥れても評価されたいぐらい強い→相手もそう思っているに違いない、だから相手も他人を陥れるはずだ。
*自分は、仕事に対してすごいプライドがある→相手もそうであるはずだ(相手が、仕事に人生100%かけていないのが理解できない)
*自分は、第3者を操作して上手に相手を陥れる→だから相手もそういう行動を取るはずだ

私には、上の*にあげたような発想すら無かったので、本当に世の中にはこんな考え方をする人が居るのだ、ということを認識してびっくりでした。
自分は心の底で彼に強烈なライバル意識や劣等感を抱いているが、意識の中では自分は彼を意識していないのに彼の方が一方的にライバル意識や劣等感を抱いていると思いこむこと。
毎日毎日、こっちのコンプレックスをからかわれて、ダメージうけてたんだけど
逆に、それって自己愛のコンプレックスなんじゃね?って気づいて
馬鹿にしてみたら、大当たりだったらしい
ここ数日、超大人しいw
自己愛が他人を攻撃するセリフは
自己愛本人が一番気にしてることそのままの「自己紹介乙」ってのが定番。
自己愛が考えた相手がダメージを受けるであろう嫌味は、
自分というフィルターを通してるために、
結果、自分の欠点を指摘してしまっている、と言う訳か。
まあ投影性同一視って言葉できっちり説明されちゃってて、
それ知ったときはスカッとしたけどね。

もう少し頭いい奴だと、話の中から相手の弱点を探って、
一番相手がダメージ受けそうな言葉を創作して言ってくる。
自分に当てはまらない、相手だけの痛点を上手く突いてくる。
頭ごなしに決めつけるような言い方をされたりしますと、特に自己愛型の人などはすぐにキレたりするのですが、しかし、その一方で自分が他人を非難するときには、まさにその頭ごなしに決めつけるような非難の仕方をするのです。切って捨てるようなと言いますか、そういう言い方をするのです。
こういった、自分のことを棚に上げて他人を非難するパターンを、他にもいくつか挙げてみましょう。

私の存在を無視するようなことをするな。
   → 自分自身が他人を無視するようなことを平気でしている。

お前はマトモじゃない。狂っている。常識というものを知らない。
   →  自分自身が狂っていて常識というものを知らない。

お前は卑怯で陰険なやつだ。
   →  自分自身が卑怯で陰険なことをしている。

なんで私の言うことが信用できないんだ。
   → 自分自身が他人を信用していない。

お前は私を支配しようとしている。
   →  自分自身が他人を支配しようとしている。

お前は欠点だらけだ。
   → 自分自身が欠点だらけ。

お前のようなやつは、誰からも相手にされないぞ。
   → 自分自身が誰からも相手にされない。

お前は態度がでかい。生意気だ。
   → 自分自身が生意気で、でかい態度を取っている。


自己投影による洗脳で自己愛になってしまう


自己愛性の男は、自分が○○だって攻撃されたとき
「お前のほうが○○だ。」って落ちついた態度で反論するよ。
相手の言葉尻を捕らえてその言葉を利用して
まったく見事に相手を○○に仕立て上げるよ。
相手が(自分は本当に○○なんじゃないか)と思うところまで論理を展開する。
自己愛って、自分が宿主になりきりつつ、逆に自分の欠点を宿主に押しつけてきますよね。
まるで中味を交換しようとでも言うように。おぞましい限り。
自己愛は自分自身に対するコンプや怒りを、タゲに自己投影して叩きます。
タゲは自己愛の投影を受けているので、自分が「自己愛性人格障害のような人間」と思い込むようです。


自己投影の説明


等身大の自分を認められない自己愛性は、自己否定から、
自分の悪い部分をターゲットに投影して、噂を立てる。
そして、自己愛性の欠点をターゲットに擦り付けて攻撃する。
それは、かつて、自己愛性が顰蹙を買ったり、攻撃された部分であり、
逆に攻撃することで、自分は違うと思い込む・・・そういう形の昇華のような行為を行う
自己愛者は、ターゲットとなる人に自分を投影して見る。自己愛者にとってターゲットは鏡のような存在であり、見たくない自分が映し出されてしまう。見たくない自分というのは、「影」の部分であり、認めたくない部分でもある。「影」は無意識の部分にあり、意識化されることはないので厄介である。ターゲットにされた人は「自分にも原因があるのではないか」と落ち込む場合もある。しかし、自己愛者は自分自身の「影」を見ているだけで、ターゲットにされた人のことなど見てない。だからターゲットにされた人は何ら悪い点はない。自己愛者がターゲットに対して激しく指摘する事柄は、実は自分自身、もっとも触れられたくない点でもある。このことから、自己愛者が何を気にしているのか、恐れているのかが本人の発言から推測できる。

少し知識のある自己愛者はターゲットに対して「あなたは病気だ。自己愛性人格障害だ。」と攻撃することがある。こういった指摘は鏡で見た自分の姿を見たからであり、ターゲットにされた人にとっては何を指摘されたのか理解できないことが多い。


投影同一視の目的


人は、自分の心の中に抑圧した「みにくいもの」を他人の中に見るとき、強い恐怖と憎悪を感じます。
臆病な人間は、他人の臆病さを許すことができません。思いやりのない人ほど、他人の冷たさを非難します。
他人を通して自分のみにくい部分を自覚させられることが怖いので、ますます他人を攻撃することによってごまかそうとするのです。
加害者は、「自分の欠点」から目をそらすために、他人の欠点を暴きたてているのです。もし自分に欠点があることに気づいたら、不安が「精神病のレベル」にまで高まってしまいます。相手の欠点を責めるのはそこから身を守る方策なのです。

加害者は自分を守るため、小さい頃から「健康な部分」と「傷ついた部分」を分離してきました。その結果、加害者の世界は<善>と<悪>に分かれています。そして、この<悪>はすべて他人に「投影」されます。<悪い部分>をすべて他人に押しつけることによって、加害者は自分が<よい人間>でいられ、比較的安定した生活を営むことができるのです。
逆に言えば、加害者が落ち着いた生活を送るためには、<悪い部分>をすべて他人に肩代(かたが)わりしてもらわなければならないのです。被害者は、「加害者にとって耐えられないもの」をすべて引き受けてくれる「入れ物」、「スケープゴート」なのです。

モラハラ
自己のスプリッティング~投影同一視~

生きていくためには自分は完全に善なる存在でいなくてはならず、自分の中にいわゆる悪い気持ちが生じることが許せません。(例えば「ずるさ」「汚さ」「醜さ」「過ち」「非」「欠点」「弱さ」など。)こうした悪い気持ちを自分の中から排除するために、その気持ちはあたかも他者が持っているかのように錯覚することで自分の身を守る方法を投影同一視と言います。噛み砕いて言えば、自分の中の気持ちを相手の中に投げ入れるということです。

例えば、イライラしている場合、相手に向かって「イライラしないでよ」と言ったりします。相手には心当たりがないけれど、もしも「イライラしているように見えた?ごめん」と気遣って謝れば、多少なりとも自分のイライラは解消されます。また、「イライラなんてしてないよ!」と言い返されたら、「ほらやっぱりイライラしてるじゃん」と自分の指摘が正しかったという形になるので、それでも自分のイライラは多少なりとも解消されます。つまり、自分の気持ちを一人で解消できないために、他者を巻き込んで解消するというのが投影同一視なのです。

カウンセリングルームセンター南
たとえば、スタッフに向かって「お前は、自分勝手で自己中心的だ」という非難を浴びせたとします。患者の人柄をよく知っている人からみれば、「自分勝手で自己中心的なのは、他でもない自分自身のことではないか」ということになるのですが、患者自身はそういう自分のいやな部分を見ようとはせずに、そのいやな部分を他人に押しつけるのです。そして、いやな部分を押しつけた他人に向かって「お前は、自分勝手だ」と言って非難するのです。

このように自分のことを棚に上げて、他人を非難することで、自分の中にある嫌悪すべき部分と直面することを避けているのです。つまり、自分自身と向き合う代わりに、他人という鏡と向き合って、他人を攻撃するのです。

ですから、患者が、「お前は、×××だ!」と言ったとき、「お前は」という部分を「私は」に置き換えてみれば、言っていることがそっくりそのまま患者自身にぴったりと当てはまることがあるのです。しかし、患者は「私は、自分勝手だ!」とは言いません。その代わりに「お前は、自分勝手だ!」「お前は、自分のことしか考えていないじゃないか!」と言って、周囲の人たちを非難するのです。


投影同一視の原因


なぜこのような防衛機制が発生するのかと言いますと、患者には自分というものがないからなのです。自分というものがないので、葛藤を自分だけで抱えることができないのです。

加えて、患者は精神的な「分離-個体化」に失敗しているため、自分と他人とを区別する境界が非常にあいまいです。ですから、本来なら自分の中にとどまっている葛藤が、自他の境界があいまいなために、自分の境界の中にとどまっていることができずに、そのまま周囲の人間関係の中へと流出してしまうのです。そして、患者の心の中の混乱が、そのまま周囲の人たちの混乱として表現されることになるのです。そして、周囲の人たちは、患者から色々な役割を押しつけられて、気づかないうちに患者の葛藤の代役を演じさせられることになるのです。

そして、こういう形を取ることで、患者自身は自分の見たくもないいやな部分を全部他人に押しつけることが出来ますので、本人としては「善人」のままでいることができるのです。つまり、自分はあくまでも善人であり、悪いのはすべて悪役を割り振った他人のせいなんだということになるのです。


投影同一視への対策


「お前は、自分勝手だ」と言われたら、「自分勝手なのは、お前の方じゃないか。自分のことを棚に上げて、なんだ!」と言い返したくなったりします。しかし、このような反論は、火に油を注ぐことになります。患者にとっては、あくまでも自分は無実であり、悪いのはすべて他人ということになっていますので、このような言い争いになってしまいますと、勝ち目のない泥沼にはまり込んでしまうことになるのです。

自分自身の見たくもない一面や、自分自身の欠点を、ある程度素直に見つめることができれば、ああ、自分にも思い当たるところがあるな、と言うふうに振り返ってみることもできるのですが、そう言うことができないからこそ、他人に自分のいやな部分を映し出して、他人を罵倒するのです。そして、もしも相手から「お前自身がそうじゃないか」などと言われようものなら、「なにおー」となるのです。そして、お互いに口論となり、「無視するようなことなんかしていない」とか、「いや、お前は明らかに無視するようなことをしたじゃないか」とか、あるいは「お前は自分勝手なことばかりしている」とか、「いやそんなことは絶対にしていない」とか、そういう不毛の論争になったりするのです。たしかに、相手の人にも、多少は患者が非難するような一面があるかもしれませんが、患者は相手のそういう部分に、非常に敏感に反応していくのです。

 このような患者が仕掛けてくる言い争いに巻き込まれないようにするためには、まず投影性同一視というメカニズムを理解しておく必要があります。そして、患者が投影性同一視というお誘いを仕掛けてきたときには、その手に乗らないように注意する必要があります。具体的に言えば、反論したい気持ちになったときに、まず一呼吸おいて、心を落ち着けたほうがいいでしょう。そして、患者の表面的な言葉ではなくて、その背後にあるものは何なのだろうかということに焦点を当ててみるのです。

 もしスタッフが、自分がどういう人間であるのかということをよく理解していて、さらに投影性同一視などの防衛機制の知識を持っていれば、患者から言いがかりのようなことを言われたとしても、あわてることはありません。たとえば、「お前は欠点だらけの人間だ」と言われたとしても、自分にはたしかに欠点はあるが、決して欠点だらけではない、これは敢えて反論するまでもなく自明のことである、というふうに自信を持って判断することができますし、患者の激しい非難に対しても余裕を持って接することができます。もし、患者から大声で怒鳴られたとしても、ほう、今日はやけに元気がいいなぁ、くらいに、ワンクッション置いて受け止めておいて、その次に、この患者は欠点だらけの自分を受け入れることができなくて苦しんでいるんだな、それでこうやって私を欠点だらけの人間だと非難することで、自分自身の苦しみをなんとか解消しようとしてもがいているんだな、という具合に共感的な態度で接することができるようになります。

投影性同一視による操作



2011/05/15 | Comment (1) | Trackback (0) | Edit |
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理想化・脱価値化

 [ 関連用語
脱価値化
欲求不満を起こさせる対象を極端におとしめ、価値のないものとみなす防衛である。一時は理想化された対象であっても、自分の期待どおりの保護や充足を与えないとその価値は一挙に引き下げられる。相手を無価値なものとみなす防衛には、期待に応えない相手に対して激しい怒りが生じ、その価値をおとしめることで報復するという目的、そのように激しい怒りを向けた相手はまた自分を脅かし迫害するであろうと予測されるので、その迫力を弱めようとする目的であり、理想化した相手が期待どおりでなかったという残念さやさびしさを感じないようにする目的でもある。理想化も脱価値化もともに、分裂を強化し維持する役割を果たしている。
http://humanbeingasap.blog.fc2.com/blog-entry-165.html


こきおろしとは
相手に、長所、良い部分、すぐれた所、が何一つないものとして、
相手の欠点ばかりを徹底的に批判しする事


自分の判断を合理的に正当化する自己愛が過剰な為に、『自分の価値を認めてくれない相手には価値がない』という脱価値化の心理機制を用いて巧みに孤立感の不安から自分を守っている
http://charm.at.webry.info/200704/article_13.html


自分の期待や依存を満たしてくれる相手を手放しで『賞賛』するのだが、自分を少しでも拒絶したり批判したりするとその評価は180度変わって、『こき下ろし(全否定の攻撃的非難)』をするようになったりすることがある。

『過剰な理想化』によって相手を褒め殺しにすることも多いのだが、その理想像が少しでも崩れて自分に孤独感や不安感、怒りを感じさせるようになってくると、相手を『過小評価・全否定』するようになりやすい。一般に、『白か黒かの思考(全か無かの思考)』と呼ばれる二分法思考(良いか悪いかの二元論的な人間観)を持ちやすく、『両極端な対人評価(賞賛か全否定か)』が増えることによって人間関係が極めて不安定になってくるのである。
http://charm.at.webry.info/201201/article_14.html


『脱価値化(devaluation)』の心理機制
自己愛障害の人が自分の自尊心(自己評価)や理想自我を傷つける他者を無価値なものと見なす防衛機制

自己愛性人格障害・境界性人格障害(ボーダーライン)・演技性人格障害といったクラスターBに分類される自己愛の障害(過剰な愛情欲求と自己顕示)では、昨日まで賞賛して敬意を抱いていた相手に対して突然、攻撃的な罵倒の言葉や冷淡な侮蔑の感情をぶつけることがある。クラスターBの人格障害を持つ人の対人関係の特徴の一つとして、自己評価や自尊心、自己利益を高めるために他者を思い通りに利用するというものがあり、先ほど述べた分裂と脱価値化の心理機制によって『自分の自尊心や自己愛を傷つける他者』を自己の内面世界から反射的に排除しようとしているのである。
http://charm.at.webry.info/200704/article_14.html


脱価値化とは、自分の欲求を満たしてくれない相手への愛情や関心を即座に撤収することなので、『あの人にはもはや何の価値もない』という脱価値化の防衛機制を用いる人は嫉妬心(envy)が強いことが多い。『本当はまだ好きだけど、好きと認めてしまえば自尊心が傷つく(好きと幾ら主張しても拒絶されるばかりで何の効果もない)』という時に脱価値化は最も効果を発揮し、身を焦がすような嫉妬(羨望)の苦痛から自分を守ってくれる。しかし、脱価値化による嫉妬感情の緩和は不快な認知的不協和(矛盾する二つの考えや感情を同時に持っており自己欺瞞していること)を伴うことがあるので、脱価値化(自分で自分を巧妙にだます防衛機制)を繰り返すばかりでは本当の孤独感や空虚感は癒えることがない。
http://charm.at.webry.info/200704/article_15.html


脱価値化が起きる理由


脱価値化は理想化の後に必ず起こるもので、それには大きく2つの理由があるよ。1つは先に書いたように相手の嫌な面が必ずいつか見えてしまうから。もう1 つは、相手を理想化しすぎて自分が釣り合わなくなってしまいそうになったり、相手から嫌われそうになると、その前に相手の価値を下げておく必要が出てくるから。つまり、理想の相手から嫌われるのはとても怖いことだけど、たいした人間じゃない相手から嫌われるのは平気だってわけ。

そもそもパーソナリティ障害の人に共通するのは、相手の態度うんぬんではなくて自分の中にちょっとでも不安や不満が生じると耐えられなくなっちゃうってこと。ちょっとでも不安や不満があるってことは、全部が不安で不満だからね(無ければ0、有れば100)。

そして、それを自分一人じゃ解決できなくて他人を巻き込んじゃう。例えば、理想化してしまった相手を妬んでいる自分は醜い、と感じるのは自分の勝手な気持ちなんだけど、それを一人で解消できなくて、最初からたいした相手じゃなかったんだと価値を下げて接して解消するわけだ。それが間に合わなくて、相手からほんのちょっとでも指摘されたり不満を言われたりすれば、自分は全然ダメな奴になってしまうから必死だよね。
http://monkeyclinic.seesaa.net/article/164598422.html

2011/05/15 | Comment (19) | Trackback (0) | Edit |
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躁的防衛

 [ 関連用語
抑うつや罪悪感から逃れるために行う強がり
根拠ない優越感に浸って現実を直視させない防衛本能


躁的防衛
抑うつを弾く→「躁的防衛」のことなのではないかな?
「相手を傷つけてしまった」という痛み・悔いを受け容れる余裕がないときに
「そもそもそんな大事に思う相手じゃないし、傷自体もなんてことない」という
躁的なカバーで現実を覆い隠してしまうというか。


「躁的防衛」においては、自分が傷つけた対象、喪失した対象が、価値の無いものと見なされる。「下らない対象」であるから、それを傷つけたことや失ったことを、苦しむ必要はないと考えることができる。
http://medg.jp/mt/2013/05/vol132-manic-defense.html


苦しい時の空元気・負け犬の遠吠え
抑うつという心の痛みを避けようとして、過剰に元気になり様々な行動化を起こす状態である。
この状態では、当人は依存を否認し、依存対象との力関係を空想の中で逆転させており、依存対象を軽視、軽蔑し、罪悪感を抱くに値しないとみなし、勝利感・全能感を抱き、思うとおりにコントロールするのだという。


躁的防衛(manic defence)とは、自分の大切な対象を失ったり、傷つけたりしてしまったと感じた時に生じる不安や抑うつ感などの不快な感情を意識しなくする為に行う。その為に自分は万能であり相手を支配できると思い込んだり、逆に相手の価値をおとしめたりする。一見すると楽しそうに振舞うため「躁的」と呼ばれる。


躁的防衛は、依存対象に対する支配 control、征服 triumph、軽蔑 contempt の三つの感情によって特徴づけられる。支配感は依存を否認し、逆に対象を支配し、自己の依存を対象に満たさせようとする試みであり、征服感は、依存対象を打ち負かし、依存対象に対する抑うつ感を否認する試みである。そして、対象に対するあこがれや失う事への恐れを否定してしまう。同様に、軽蔑は対象喪失と罪悪感に対する防衛であって、軽蔑される対象は罪悪感をもつことに値しない対象であり、攻撃を加えても失ってもかまわない対象になる。


「躁的防衛(そうてきぼうえい)」は3つの感情に特徴づけられます。支配感、征服感、軽蔑です。それは、いずれも他者に優越することで、自分を守ろうとする心理的働きがあります。横暴なふるまいは、自分の思いどおりになる存在を支配することによる躁的防衛です。人はストレスを受けた状況では、自分を守るために、もっと弱い立場の者を支配することで自己愛や自己効力感を保ち、心のバランスをとろうとします。それは身近にみられる異常心理への入り口です。

機能不全家庭で育った人の人間関係は、決して親密ではありません。いつもどちらが上でどちらが下かをはかっています。本当の自分が出せず、人とつき合っていても孤独です。実際にひきこもる人もいますし、表面上は社交的でも、心は孤独のカプセルに入っている人もいます。さびしいのなら、心の敷居を低くしてありのままの自分で他人とふれ合えばいいのですが、それができません。弱みを見せたらバカにされると思うのです。
http://morahara.nukenin.jp/99ijime/soutekibouei.htm


躁的防衛
【既存】
・M.クラインによって提唱された概念で、精神的苦痛から逃れるために、現実を否定し、なんでも自分の都合のよいように解釈することをさす。抑うつ不安のもたらす抑うつ感情や罪悪感から生じる心の痛みに個人が耐えきれない場合など
【追加】
・万能、とくに対象のコントロール、脱価値化(軽蔑感)、対象への勝利感、征服感といった心的活動や情緒から成り立っている。それにより、自分が内的な世界をもっていることや、その世界に自分が大切に思う対象が含まれているという自覚をせずに済む。そして乳児はサディスティックで爽快な感情などの自分にとって都合のいい空想に浸ることになる。


躁的防衛とは、
抑うつポジション(問題の非が自分にあると受け止めて沈んだ心の状態)に入り嫌な気持ちを味わいたくない時に、強がったり、居直ったり、逆に攻撃的になったりする心のメカニズム。

難しく聞こえますが、落ち込みを避けるためにカラ元気を出す状態のことと言えます。
自分にも非があると認めて落ち込んだり反省したりするよりは
元気な気持ちでいたり、人のせいにしていたいものです。
そのために、躁的防衛をするんだそうです。

でも、この抑うつポジションをとれた時に、人は心の成長を遂げるんだそうですよ。
http://blog.livedoor.jp/jpa001/archives/1252782.html


強がりや意地っ張りは、心の奥の繊細な気持ちをカモフラージュするものとして、
心理学用語では“躁的防衛”という難しい言葉で呼ばれることもあります。

本当は不安なのに。本当は悲しいのに。本当は寂しいのに。本当は怖いのに。
認めない。反省しない。平気なふりをする。虚勢を張る。
絡む。喧嘩を売る。人のせいにする。攻撃する。笑ってごまかす。
挙げ句の果てに、「相手に別れを切り出される前に自分から!大作戦」を決行。

当時の私は、彼氏というのは親代わりのようなものだったのですね。
「いつでも私を満足させてちょうだい」
「いつでも私を見ていてちょうだい」

それが叶えられないと、大騒ぎをはじめるのです。

「私を愛していると言うなら、私と同じ気持ちであるべきだ」
「私を愛していると言うなら、私の気持ちをすべて理解するべきだ」

これ、赤ちゃんなら許されますが、大人がやると大ヒンシュク。

どう転んでも心が弱いなら弱い、コミュニケーション力が足りないなら足りない。そうやってあっさり認めてしまえばいいものを、当時は妙なプライドが幅をきかせ、「彼氏の前で泣いたら負け」とばかりに意地を張る日々。
http://jpakiji.exblog.jp/11549777


抑鬱ポジションを避けるために、強気な態度をとり、自分を守ろうとするメカニズムが「躁的防衛」です。躁的防衛が破れると、急に弱気になり、すべてがダメだと思って、深く落ち込んでしまいます。
http://morahara.nukenin.jp/99kinouhuzen/nyuuji.htm


抑うつポジションに陥る事は『大きな苦痛を伴います』
この状態に耐えられる『自我の力がない』場合、自らを守る為に行うのが『躁的防衛』です。
幼く、非現実的な万能感を抱く事で『自らの無力さ・後悔に打ちひしがれる事』から、自分を守るのです。

躁的防衛は、三つの感情に特徴づけられます。
『支配感・征服感・軽蔑』です。

こうした感情は、自己愛性人格障害・妄想性人格障害・強迫性人格障害といった『人格障害の人を動かしている鍵となる感情』であります。人格障害の人の『常識的ではない』心の動きを理解する上でも重要です。

躁的防衛は、必ずしも不健全なものではないですが『現実の否認や回避』として働く場合、有害な結果を招きやすいです。
躁的防衛の問題は『失う事、悲しみに向かい合う事を妨げてしまう』という事です。
http://15.xmbs.jp/loveprettier-3407-n2.php?guid=on&page=6&view=1


人から好意を得ようと、明るく真面目にふるまってきました。つまり明るい性格は「不安の防衛的性格」でした。別の言葉で言えば、明朗と活発は「躁的防衛」です。本当は自分に自信がありません。その人は自信のなさを隠すために社交的に明るくふるまっていただけです。妙にはしゃいだり、不自然に明るかったり、わざとらしい親しさをふりまく人がいます。内面の自信のなさを、その「はしゃぎ」で隠しているのです。そういう人は無理に明るい性格を演じても、「何でも話せる親しい友達」がいません。皆に好かれたい気持ちが強いから、極端なまでに周囲の人の期待に応えようとします。でもどこかその明朗さは不自然なのです。

もしこの人が「実は俺は淋しくて自信がないんだ、だからついつい大きなこと言ったり、わざと明るくふるまったりしてしまうんだ」と自分に正直になれていたら、親しい人ができたでしょう。本当の自分の感情を表現できていればこの人は楽しく生きられたかもしれません。本当の自分の感情を表現して友達でいられる人でないのなら、一緒にいたってしょうがありません。

「本当の自分の感情を表現したら、友達との関係は終わり」と思うなら、もともとその友達との関係は幻想にすぎません。
その人たちは自分の感情を隠すことで、自分を守ろうとしていました。しかし、真に自分を守るためには自分の感情を出すことだったのです。「感情を出したほうが好かれる」ばかりではなく、「感情を出したほうが救われる」。
http://morahara.nukenin.jp/99ijime/koseitomasukomitozaikai.htm


愛される対象は同時に憎まれる対象でもあるということ
http://www21.ocn.ne.jp/~sfreud/klein/kyogo/kyogo.htm


【躁的防衛】
 抑うつ的態勢が生じたとき、自我は(より早期の防衛に加えて)、愛する対象を「恋い焦がれる」ということに対して、その本質において対抗するための防衛方法を発達させざるをえなくなる。
これらは、自我組織全体にとって根本的なものである。
抑うつ的な態勢と躁的な態勢との間をゆれ動くということは、正常発達において本質的な部分である。
自我は、抑うつ的不安(自れのみでなく対象の破壊をも心配する不安)に突き動かされて、万能感的かつ暴力的に幻想を構築するが、その意図するところは、ひとつには「悪い」危険な対象を統制し支配することであり、もうひとつには愛する対象を救い修復することである。
これらの万能感的幻想は、破壊的なものも償おうとするものも、最初から子どもをすべての活動や興味や昇華へと刺激して向かわせるのである。
幼児においては、彼のサディズム的な幻想と建設的な幻想と両方の極端な性格が、彼の迫害者の極端な恐ろしさと、もう一方の極においては彼の「良い」対象の極端な完璧さとに相応している。
理想化は躁的態勢の本質的な部分であり、この態勢のもうひとつの重要な要素、すなわち否認と結びついている。
http://humanbeingasap.blog.fc2.com/blog-entry-86.html


* 相手に対する羨望や、認め難い依存欲求を防衛するために、それを外界へ投影して相手を軽蔑・脱価値化し、一方で他者に依存する必要のない満ち足りた存在であると感じようとする。

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分裂の防衛機制

 [ 関連用語
矛盾した心理がそのままになっている状態をいう。
例えば「自信がない」と「自信がある」が共存した状態。
「嫌いだけど好き」など。
一方で不安があり、一方で安心を求め
その間を行ったり来たりする心理機制とでもいおうか。
中間が無く現実を直視できない状態である。
http://blog.livedoor.jp/mousou/archives/7749800.html


分裂の防衛機制
相手が自分の要求や不安を満たしてくれている時には良い人間
相手が自分の要求や期待に背いて不安感・寂しさを感じさせた時には悪い人間

「不安定な人」とよく聞くが、それはやはり自我の脆弱さを言う場合が多いと思う。そこでは、通常聞くような防衛機制を用いるのでなく、乳児が用いるような原始的防衛機制を成人で用いている時に使っているのだと、最近気づいた。

例えば相手との関係が良い時には相手の長所・利点だけしか認知できないようになり、相手との関係が少し悪くなると相手の短所・欠点だけしか認知できなくなる人がいるとする。
それは二分法思考にあるものだと言え、一人の人間の中に良い部分と悪い部分の両方が同時に存在することをなかなか受け容れることができない事から来ている。
http://humanbeingasap.blog.fc2.com/blog-entry-165.html


分裂とは?
ひとには誰でも良い面と悪い面があります。それを、良い部分だけみて「あの人は素晴らしい人」と持ち上げたかと思えば、その人についてどこか悪い面が見えただけで全面的に「あの人は悪い人!」と評価が一変してしまうような捉え方をしてしまう。つまり、全体としてバランスよく物事や人をみることができない、ということです。同じ一人の人であるにも関わらず、まるでその人が二つに分裂したような「良い人」「悪い人」としかみれないわけです。

「対象や自己の良い側面が、悪い側面によって汚染、破壊されはしないかという非現実的で被害的な不安のため、両者を分裂した別のものとして分けておくという防衛機制が働くのです(クラインによる)
(要するに、嫌なものや悪いものを見ないでおくのですね?)そう言ってかまわないと思います。」
‐境界例の治療ポイント p125‐
http://blog.livedoor.jp/kyoclinic/archives/3326117.html


自分に都合のいいことをしてくれるときはすごく喜ぶ。しかし、ちょっと自分にいやなことをされると別人のように立腹する」という両極端の反応を示します。「部分対象関係」とは「いい人」と「悪い人」が分裂した人間関係のことです。自分を満足させてくる人は「いい人」、不満足なことをするのは「悪い人」というわけです。実際は同じ人のなかに「いい人」「悪い人」の両方が存在していて、その両方の存在をひとりの人のなかに認めることができるように成熟していかないといけません。その成熟した状態が「全体対象関係」ですが、今の若者には「部分」でとどまっている人が多くなっています。
http://blogs.yahoo.co.jp/amour_tm21/13718545.html


解離・自我の分裂 (dissociation)
互いに矛盾する二つの自我状態、つまり現実に対する互いに相反する態度をとる二つの(自己)意識が、統合されないまま並存し(これだけで健忘が伴わないと自己分割splitting)、しかもこの矛盾・並存を否認している状態。このような自我の分裂は、自己愛的な自我にとって、それを自我の一部として認めるのが不快、苦痛、不安をもたらすような自我の状態や部分を、自己として認知することを避ける(否認する)という意味で防衛機制。
(例)二重(多重)人格(解離性同一性障害)。


羨望に満ちた破壊的な衝動が、強く分裂除外されていればいるほど、この衝動が意識化されたときに、それが危険なものだと感じられる度合いも強いものなのである。患者が自らの自己における分割の存在を洞察することはつらいことなのである。(中略)
罪悪感や抑うつ感が、さらに充分に体験されるようになる。こうなってくると自我は強化され、破壊衝動への万能感は羨望とともに減少してゆき、それまで分裂のプロセスによっておさえられていた愛情と感謝への能力がふたたび自由に解放されてくる。そのために、それまで分裂除外されていた面が、徐々により受け入れられやすいものとなり、患者はしだいに、愛する対象への破壊衝動を、自己を分裂させることなしに、抑圧することが可能になってくる。
http://homepage1.nifty.com/eggs/houhou/bouei/bunretu.html


他者と安定した対人関係(信頼関係)を維持できない境界性パーソナリティ障害では『賞賛と否定(こきおろし)の二分法的な対人評価』が問題になることがあるが、これは妄想‐分裂態勢への退行による『迫害妄想(自分が攻撃される妄想)』と『分裂の防衛機制(相手の良い面と悪い面の完全な切り離し)』によって説明される。

部分部分で、また、その瞬間瞬間の満足、不満足で、対象と結びつく関係を、クラインは「部分対象関係」と名づけました。

この段階では、自分の欲求充足をジャマされると、これまで満たされていたことなど関係なく、その瞬間の不満や不快さにすべて心を奪われ、怒りを爆発させ、泣きわめきます。

このように、自分の思い通りにならないとき、すべての非を「悪い」対象のせいにして、怒りを爆発させ、攻撃する心の状態を、クラインは「妄想(もうそう)・分裂ポジション」と呼びました。



他人を必要以上に理想化したり、軽んじたり、
その間を行ったり来たりする。
これは自分自身に対してもそうで、ちょっとしたことで、すごく落ち込んだり、
逆に、カンタンに調子にのったりもする。
ちょっと人の嫌な所を見つけると、
その人にバッサリ、「ダメな人」とレッテルを張ってしまう。

2011/05/15 | Comment (0) | Trackback (0) | Edit |
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否認・解離性健忘

 [ 関連用語

否認の防衛機制


否認(denial)とは、不安や苦痛を生み出すようなある出来事から目をそらし、認めないこと。「抑圧」はその出来事を無意識的に追い払うものだが、「否認」は出来事自体が存在しないかのような言動をとる。特に「原始的否認」は分裂を強化するような性質の否認を指す。理想化や脱価値化は、原始的否認を背景とし、また否認を強化する。


解離について


記憶障害(解離性健忘):簡潔に言うと部分的な記憶喪失。『思い出したくない嫌な記憶・受け入れ難い不快な感情・認めたくない自分の気持ち』などを自分の意識領域から排除して抑圧し、自分自身でも気付かないようにしようという防衛機制。ある一定期間・又はその人なら知っている筈の、ある関連した情報のみを思い出せない。(正常な解離は心の安定を守ってくれる有益な現象。病的かどうかは程度や目的にかなっているかどうかによる。)
http://kokoropopo.blogspot.jp/2012/12/dissociative-disorder.html


解離性健忘
単なる「物忘れ」では説明できないほど、過去の一時期の記憶、或いは全ての生活史の記憶を失っている状態が主な症状


解離は本来、自分自身を苦痛や悲しみ、攻撃から守る自我防衛機制としての働きを持っていますから、過去に虐待やいじめ、暴行といった外傷体験をして受けた耐え難い苦痛や無力感、絶望、悲しみといった感情を伴う記憶を『解離という防衛機制』を用いる事で自分とは関係がないものとして切り離してしまうのです。

不安障害や転換性障害(従来の神経症)をはじめとする多くの心の病気には、『思い出したくない嫌な記憶・受け入れ難い不快な感情・認めたくない自分の気持ち』を自分の意識領域から排除して抑圧し、自分自身でも気付かないようにしようという種々の防衛機制が働いています。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/griffin/life07.html


解離性健忘は、本人にとって耐え難い苦痛で嫌な出来事が起こった場合や解決や克服が難しい問題に直面した場合に、通常の物忘れでは説明できないほどの自分に関する事柄の記憶喪失(健忘)を起こすもの


解離性健忘は、自分自身で『あの時のことが全く思い出せない。確かに自分が何か行動をした証拠・形跡があるのに、自分にはその時の記憶がないから変だ。友人が話している自分に関する内容の記憶がないからおかしい』というような感じで症状に対して自覚できることが多い点が、解離性遁走や解離性同一性障害と異なります。


記憶障害(解離性健忘)
簡潔に言うと、部分的な記憶喪失。
自分にとって  「受け入れられない程の苦痛な記憶・認めたくない現実」
とゆう体験から自分を守る為の防衛機制を無意識のうちに働かせ自分とは無関係なモノにし、切り離して(解離して)しまう。
それが[解離性障害]です。


(解離性健忘)の特徴的な症状は、
ある一定期間・又はその人なら知っている筈の、ある関連した情報のみを思い出せない。
自分はその場所に居て何をしたか、証拠はあるのに記憶がない。
とゆうものです。


解離とは
元々、自分がどうしても認めることが出来ない苦痛な経験や思い出したくない出来事に遭遇した時に、嫌悪する出来事や過去の苦痛な記憶から自分を引き離して心の平安を保つ為に、防衛機制として解離が発動する。つまり、防衛としての正常な解離は日常生活において心の安定を守ってくれる有益な現象であるが、解離の程度が、質的・量的に激しくなり、本人が苦痛を感じたり、日常生活に支障をきたすと病的な解離として解離性障害となる。
http://kokoropopo.blogspot.jp/2012/12/dissociative-disorder.html


解離という現象は全て病的なものではありませんし、あるときには必要なものでもあります。病的かどうかは程度や目的にかなっているかどうかによります。何か考え事をしていて電車で降りる駅を乗り過ごすことも解離です。このときは意識の狭窄が起こっています。意識の狭窄とは意識が一つのことに集中して他の精神的要素から切り離されている状態で典型的なものは催眠とか暗示があります(多重人格はあたかも別の人間になったかのような自己暗示を無意識に繰り返す障害です)。横綱の朝青龍が解離性障害と診断されましたが、格闘技をする人は試合ではいつもの自分とは異なった人格状態に解離する必要があるのではと私は考えています(そうじゃないとあんな危険なこと怖くてやれませんよね)。
http://kokorohikari.byoinnavi.jp/pc/free175854.html

2011/05/15 | Comment (1) | Trackback (0) | Edit |
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鏡映転移・賞賛の鏡

 [ 関連用語
自己の全能感を「母親の目の輝き」をもって映し出して欲しいという幼児の基本的な欲求。鏡転移を起こしている人は、現在向き合っている相手に母親的なイメージを投影し、無条件の賞賛と愛情を期待することになる。


2011/05/15 | Comment (0) | Trackback (0) | Edit |
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自己愛憤怒

 [ 関連用語
自己愛憤怒
他者に期待を裏切られたり、自尊心を傷つけられる軽蔑を受けたと解釈した場合の激烈な怒りと復讐感情。(相手を見下し侮辱した場合でも、それを指摘されると烈火のごとく怒る。相手に与えた被害は見えていない。)


自己愛憤怒(じこあいふんぬ)とは、自己愛者が、主観的評価よりも少しでも低い評価や冷遇を他者から受けた途端に爆発させ、攻撃行動へ結びつく怒りのこと
自己愛憤怒 『ウィキペディア(Wikipedia)』


自己像を傷つけられることによって生じる激しい怒り



自己愛憤怒」とは、マイナス感情の責任を相手におしつけ、相手をはずかしめ、ほろぼしつくしたいという執拗な怒りのことです。
依存心が強い(「他者からの応答性」をあてにしている)加害者は、たとえば、見下している相手が思い通りにいじめられてくれないとか、相手が中途半端に仲良くしながら少しずつ状況を改善しようとしたとか、相手に服従も同調もされず「独立した人格を持つ他人だ」と実感させられたとか、相手が自分よりも輝いていたとか、自分の期待していた「全能感を満たしてくれるような応答」を得られなかったときに自己愛憤怒を爆発させます。
「いじめの社会理論 その生態学的秩序の生成と解体」


自己愛憤怒とは、自己愛が傷ついた時の不適当なほど強い怒りのこと。
自己愛憤怒は、大きく分けて2つあるよ。

1つは図星を突かれた時の怒り。
特に誇張することもなく事実を伝えただけでも、それが相手の気にしていることだと、「なんでそんなひどいことを言うんだ!」という反応をされてしまったりするよね。恥を感じると自己愛っていうのは傷ついて泣きたくなってしまうんだけど、そんな弱い自分を見たくないし、人に見せたくもないから、その恥を覆い隠すために人は怒ってしまうことがあるってわけ。例えば隠しておきたいコンプレックスをずばり指摘されちゃった時とか、「やるやる言って、やらないよね」みたいに痛いところを指摘をされて怒るのが自己愛憤怒の1つの形。

もう1つは、相手が自分の思い通りに動かなかった時の怒り。
自分が何かを頑張った時、それをほめてもらえないと、「不当な扱いをされている」と頭にきたりする。また、自分の意見が採用されたなかった時、「軽く見られている」と感じてしまい、相手が何もしていなくても、いや、自分の意見に耳を傾けず何もしてくれないからこそ自己愛が傷つき、それを覆い隠すために怒ってしまう。

つまり、自己愛憤怒とは、自分の存在価値を守るための自分都合の怒りなんだ。
自分は正しい存在なんだから、他人から指摘なんかされないはず。自分は正しいことを言っているはずだから、相手は自分の言う通りにするべき、または、自分のことを褒めるべきだ、と思ってしまう。
自己愛憤怒: モンキークリニック



自分の目の前でこんな怒り方をされた人も少ないでしょう。
ただ怒鳴っているだけなのですが、実際にやられるとものすごい迫力です。
また、相手が弱いとみると(女性、子供等)暴力行為もいといません。
チンピラのやり方とは違い、大声と鬼のような表情で威圧するのです。
そして段々「もしかしたら自分が悪いのかも」とか「めんどくさい」という感覚になり、何も悪くないのに謝ってしまうのです。

そこが自己愛性人格障害者の狙いです。
謝らせることで、相手に罪悪感を植え付け、自分の支配下に置こうとするのです。
これを何度も繰り返せば、段々自分の感覚が麻痺して、反論もできなくなります。

やっかいなのは計算して怒っているのではなく「本能」で怒っていることです。
もはや「ケダモノ」と化しているので、誰の説得も受け付けません。
周りの人もあまりの迫力に、関わり合いになるのを恐れて近づきません。

ここで重要なのは、自己愛性人格障害者の狙いが「威圧」だということです。
こちらが奴ら以上に逆ギレすれば、それまでの勢いは消えて防戦一方になります。
実際、僕のところの自己愛性人格障害者は庶務の女性に逆ギレされて黙ってしまいました。

逆ギレは効果的ですが、もしできなくても睨みつけるだけで効果はあります。
「こっちもキレたらどうなるかわからんぞ」と表情で反撃するのです。

どうしても反撃できない場合は、独りで抱え込まず、他の人に話して下さい。
例え分かってくれなくても、そうすることで心の負担が減るでしょう。
決して、自分独りで抱え込まないでください。自分独りだと思わないでください。
2011/05/16 | Comment (1) | Trackback (0) | Edit |
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自他境界の曖昧性 自己愛性人格障害の特徴

 [ 関連用語
・他者は彼らの要求を満たすために存在し、要求を満たさないなら存在しなくて良い、と考えている。「自己と他者との間に境界があり、他者が別個の存在であって自己の延長でないこと」が理解できない。


不機嫌な人間は、他人の不機嫌にもっとも敏感である。なぜなら、不機嫌な人間は、自我境界ができていないからである。

今、自分が不機嫌であるとする。例えば、その時、ある誰かに朗らかでいてもらいたい。ところが、その人は朗らかにしていない。するとそれが面白くない。他人の気持ちが自分の望みどおりに動かないと、ふてくされる人がいる。自我境界の不鮮明な人である。

他人に「こうした気持ちでいてもらいたい」ということは、誰にでもあろう。ここまでは、自我境界が形成されている人も形成されていない人も同じである。ところが、自我境界が形成されていない人は他人の気持ちは自分の手足と同じように動くのが当たり前と感じているから他人の気持ちが自分の望むように動かないと怒りだす。極端な場合はパニックになる。他人に対する自分の望みが自分の欲求になってしまうのが自我境界の形成不全の人である。

『 「内づらと外づら」の心理 』より
自己と他者の境界線の曖昧さ

自分と同等の存在として認識する他者(対象)のことを、精神分析では『自己対象』と呼びますが、自己愛障害では『自己と自己対象との境界線』が薄まってしまい、自己対象(親しい他者)にも自分と同じような考え方・接し方をして欲しいという欲求が強くなり過ぎてしまうのです。

しかし実際には他者には他者の人格(内的構造)があり、他者には他者の生活・仕事・人間関係の都合があるわけですから、どんなに親しくて気心の知れている家族・恋人・親友であっても、『自分の思い通りの反応・愛情供給・承認』を得るというのは原理的に不可能であり、ここに自己愛障害に特有の『自己と他者との不適切な距離感の問題(依存と要求の過剰によるトラブル)』が生まれやすくなります。

自己と他者の境界線が曖昧になって、自他の同一化の心理規制が強くなると、『他者の存在・愛情(承認)』に一方的かつ過剰に依存している自己アイデンティティは非常に脆弱なものになりやすく、自分が信頼していたり好きだったりする他者が少しでも『自分の思いに反する反応・対応・拒絶』をすると、自己アイデンティティが拡散して自己否定感や自傷行為の衝動が強まるリスクが高くなります。

境界性・自己愛性のパーソナリティ障害と自己愛の発達2:自己アイデンティティの脆弱性と依存性
この世のすべての人は他人なのです。どんなに愛し合っているカップルでも、パートナーというのは、自分とは別個の人間なのです。このような理解の上に立つことが出来れば、パートナーの個性を認めることも出来るようになりますし、相手の人への思い遣りや配慮も生まれてくるのです。もしも、自分と他人の区別が失われてしまい、相手の人を自分の延長のように扱ったりしますと、思い遣りや配慮も失われてしまい、二人の関係は壊れやすいものになってしまいます。このようなことは「親しき仲にも礼儀あり」という諺にも通じるものがあります。つまり、健全な人間関係を作り、それを維持していくためには、そこに健全な自他の区別が必要となるのです。

境界例の治療技法7:患者への理解と対応-自分と他人の間の境界設定
自己愛人間は、自覚なしに境界を侵害する。あなたの郵便物や日記は読まれる。浴室や寝室のドアはないも同然。財布の中身は抜き取られる。衣類や化粧品や持ち物は「拝借され」、会話は盗み聞きされる。おせっかいな質問をされ、訊いてもいない意見を押し付けられ、アイデアは盗まれ、秘密は守られない。

クライアントの多くが自己愛人間に次のようにいわれた経験をもつ。「それはあなたの本心じゃない」「きみの考えはこうだ」さらには「これがあなたという人間だ」とまで。自分の侵害行為を指摘されると、彼らはしばしばむっとするか当惑する。垣根のない世界でなぜドアをノックする必要があるというのだ?

「結局、自分のことしか考えない人たち 自己愛人間とどうつきあえばいいのか」
自己愛人間は境界を侵害します。自己と他者とのあいだに境界があり、他者が別個の存在であって自己の延長でないことが理解できません。絶対的な特権意識を持つ彼らにとって、彼らの欲求はあなたの欲求より重要です。

自己愛人間は、実力の認識や、独り立ちする自信を発達させられません。そして周囲に目を走らせ、「足りないものや必要なものを与えてくれる他者」を探し出す能力を磨きます。何かしらの「満足を与えてくれそうな相手」は、彼らの「自己の延長」とみなされ、「分離していない存在」として扱われます。役に立つ者は自動的に彼らの期待に応えて当然とみなされます。彼らにとって利用価値のない者は切り捨てられます。彼らにとって他者は彼らの要求を満たすために存在し、要求を満たさないなら存在しなくてよい。

「境界の侵害」を我慢する側も、自分が分離した存在だという確固たる意識が形作られていません。たいていの場合、生まれ育った家庭で侵害を受け入れるよう教えられ、自律を支援されてこなかったためです。

モラハラ「結局、自分のことしか考えない人たち」



なぜ自他境界が曖昧となるのか


自他の境界線が引けないパーソナリティ障害者たち

(境界性、自己愛性)パーソナリティ障害の最も特異的な部分は「自他の区別が付かないこと」だと読んだことがある。

自分の事は自分が一番分かっているのであれば、「他人(自分)が私の望むことを察しないで満たしてくれないのはおかしい」というような境界線問題が主題なのではないだろうか。

「自分の不平不満を言葉ではなく態度で示せば即座に誰かが満たしてくれる」「自分の不快さは他人(自分)が取り除くべきだ」という生き方は赤ちゃんの時期だけなのが人間のあるべき発育段階なのだと思っている。
で、だんだんと「他人は役に立たない、言わなきゃ分からないし言ってもわかってもらえない」ということを学ぶはずなんだけど、どこかでストップしてしまった人たちの一つの行き先がパーソナリティ障害なんじゃないかと。

これが逆だとDVを受ける側になっちゃう。
「相手が不機嫌で暴力を振るうのは自分に落ち度があるからだ」というような「他人の事も自分の責任として受け止めてしまう」という素地がDVを甘受するようになってしまう要因だと思われる。
パーソナリティ障害と境界線問題


2011/05/16 | Comment (1) | Trackback (0) | Edit |
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外的コントロールと内的コントロール

 [ 関連用語
自己愛性人格障害の人は、人にはそれぞれ自分のこだわりややり方があるという意識が乏しく、人を自分の思い通りにしたいという欲求が強い人たちです。こういった人たちは「外的コントロール」で人と接するため、良い関係が続きません。

外的コントロールとは、「人を自分の思い通りにコントロールしようとする考え方」で
1.人の行動の動機づけは外側から。
2.人は変えることができる。
3.自分は正しい、相手は間違っている。 
という信念を基にして作られています。


外的コントロール


外的コントロールとは
外的コントロールとは、
①人の行動の動機づけは外側から。
②人は変えることができる。
③自分は正しい、相手は間違っている。

という信念を基にして作られています。

つまり、「人の行動は言えばわかるし、私が信じていることは正しいし相手は間違っている。だから相手を変えることは私の義務である。もし私の言う通りにしてくれなかったら、相手のためにはならない。だから、どんなことでもやって正しいことをさせないといけないのだ」という信念に基づいて関わろうとします。

ここまで具体的でないにしても、思ったように相手が動いてくれず、イライラして当たってしまったという経験は誰にでもあると思います。

しかし、人間には自由の欲求があるため、他人のコントロールに必ず素直に従うとは限りません。すると私たちは相手が思った通りに動いてくれないので、自分の理想通りに以下のことをすることがあります。

すなわち、
①批判する、②責める、③文句を言う、④ガミガミ言う、⑤脅す、⑥罰する、⑦褒美で釣る、
です。

これらの行動は「7つの致命的習慣」と呼ばれています。なぜ、致命的かというと、その行動をとり続けることで確実にその人との関係が悪化するからです。例えば、間違っているからと相手を批判したり、ガミガミ言ったり、責めたりする人に対して、あなたならその人と仲良くなりたいと思えますか?最初はその人のためを思ってやったことなのに、結果として人間関係が悪化してしまうとは悲劇と言えます。

相手を変えようとする生き方(外的コントロール心理学)
相手を変えることはできない
相手を直接変えることはできません。
それなのに相手に何か期待したり、相手に良く思われたい
と思うから相手の行動一つ一つに影響を受けてしまい、
不機嫌になってしまいます。
不満ばかり感じてしまうのは、直接変えられない相手に
依存するからなのです。

相手の行動に期待しなければ、不満に思うことはないのです。
(外的コントロール)
さらに、相手に期待しないことにより、自分をしっかりと
見つめる事ができ、自分を良く知る機会になります。
自分を大事にすることができます。
(内的コントロール)
人に嫌われるタイプとは
・いつも不満や愚痴、他人の悪口ばかり言っている
・人を騙す
・嘘をつく
・怒鳴ったり、脅したりする
・責める
・褒美で釣ろうとする
これらに当てはまる人は、≪外的コントロール≫を使っていると言えます。

外的コントロールってなに?
外的コントロールとは、『人を自分の思い通りにコントロールしようとする考え方』です。私たちは無意識に、人に『期待』をしています。 外的コントロールを使うと、期待は次第に

『自分にとって都合のよい人間に変わってくれないだろうか』
(家事を手伝ってくれる夫・言わなくても片づけをする子供・自分を褒める同僚)
              ↓
『どうすれば自分の思い通りに操れるか』
(手伝うようにきつく言う・片づけさせるために叱る・褒められるために自慢する)
と変わっていってしまいます。

しかし、人を思い通りに操れることなどできるわけがありません。
相手にも意思がありますし、人からコントロールされることは誰もが嫌がります。
外的コントロールは、最終的には人間関係を破壊してしまう考え方なのです。

自己コントロールで人間関係は変わる!


内的コントロール


~自分の考え方と相手の考え方は違うことが大前提~

内的コントロールの考え方を説明します。
「私たちは外部の人からの刺激ではなく、基本的欲求を満たそうとする内側からの動機づけに従っています。当然、相手を変えることはきでないし、自分を変えることができるのは自分だけです。また上質世界は人によって異なり、正しいか間違っているかの考え方も異なってきます。」この信念を基にしてどう人と関わっていけるか、どう行動していけるか、という考え方です。
※上質世界については最後に説明します。

簡単に言うと、
「考え方や価値観は人によって違うため、人と関わっていく際はそれを前提とする必要がある」という考え方です。外的コントロールで紹介した7つの行動は、自分の考え方や価値観を相手に押し付けるというものでした。
それでは、内的コントロールの場合の7つの行動を紹介しましょう。

1.思いやる…意見の違いそのものを否定しない。敬意を表する。
2.傾聴する…相手の話に共感する。
3.貢献する…相手の成長・発展に加担する。
4.支援する…相手の行動をお手伝いする。
5.励ます…相手の行動をねぎらい、あたたかい声をかける。
6.信頼する…相手に期待を寄せる。
7.意見の違いについては交渉する…お互いの考え方を譲歩し合えるポイントを見つける。

読んだ人によっては、「言いたいことは分かるんだけど、これは無理だ(難しい)」という感想を持った方もいるでしょう。外的コントロールに頼っていればいるほど、そういった考えを強く持ってしまいます。理由は簡単です。7つの行動を比較してみると分かるかと思いますが、外的コントロールの考え方の方が楽だからです。今回紹介した7つの行動については、基本的に忍耐を要します。

2011/05/16 | Comment (3) | Trackback (0) | Edit |