このページの記事目次 (カテゴリー: 自己愛性人格障害 詳細 32 件)

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等身大の自分、ありのままの自分を愛せない

 [ 自己愛性人格障害 詳細
等身大の自分(平凡で普通の自分)を受入れられない。自分を皆から愛され賞賛を受けるに値する特別な人だと信じており(自己暗示)、特に実績がなくても大物ぶった誇大的な態度をとる。心の底では自分自身には価値がないと思っており、特別な人だと思い込んでいないと不安に押しつぶされてしまう。

自己愛性人格障害の特徴まとめ


等身大の自分を愛せない


●彼らにとって等身大の自分は受け入れがたい自分である。それは平凡で、並みで、普通であることを意味し、彼らが最も受け入れがたい自己である。

●不健康なナルシズムは、簡単に言ってしまえば、「条件付でしか自分を愛することができなくなった状態」です。

●自分にとって都合の悪い、いやな自分を見まいという防衛機制が過度に肥大し、発達してしまっている人間。自己愛幻想に浸って恐ろしい現実、苦痛な現実を否認する。

●自分を”良い部分、悪い部分”で二分法する中で、悪い部分を否認して、良い部分だけで生きていると思っている方々です。

等身大の自分を愛せない理由


●自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分が大好きに見えますがその根底にはじつは自分を好きになれない気持ちがあります。ありのままの自分を受け入れられず、つねに強くなくてはならないと思い込んでいるのです。この二重構造がつくられる背景には、もともとプライドに敏感な傾向があり、加えて育った環境の両方が関係するといわれています。子供の健全な自尊心は親に受け止められる安心感を土壌にして育ちます。ところが他人より優れているときや、親を喜ばせた時しか愛されないと、子供の中で自己愛が育ちません。自分の力、価値を認められず、つねに他人の評価を気にするようになるのです。

●自分には何の取り柄も無いという自己不信を根底に抱える人は、その抑うつを防衛するために、人とは際立って違う、優れた、特別な自分であり続けなければならない。彼らは幼い頃から常に「自分が自分以上でなければならない」という強迫観念に支配されている。

●親の自己愛の照射を受けて養育された子どもは、期待に添う限りは賞賛され、愛されるが、一方では自分は無条件には愛されない(すなわち、本当には愛されない)という二重構造の中で生きる事となる。輝く子どもであることを無意識に要求され続け、しかし際限のない親の欲望を満たすことができず、常に自己が無力化される機構が働いている。無力化される体験を浴び続けることで形成されるのは、深刻な欠損を抱えた空虚な自己である。
「並」「平凡」「普通」であることは、輝くことで自己不信を払拭してきた彼らには決して許容することが出来ない。

●一般にこれらの性質は、強力な劣等感および決して愛されないという感覚に対する防衛によるものと理解される。背後には茫漠たる自己不信が控えており、自分を愛することができないことが、様々な困難と生き辛さを生み出す障害である。(wiki)

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2011/07/01 | Comment (7) | Trackback (0) | Edit |
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万能感・誇大妄想・優越感・権力への依存 自己愛性人格障害

 [ 自己愛性人格障害 詳細
自分はみんなから愛され賞賛を受けるに値する特別な人だと信じており(自己暗示)、特に秀でたところや実績がなくても大物ぶった誇大的な態度をとります。

自己愛性人格障害の特徴まとめ


万能感・誇大妄想


・自己の重要性に関する不釣り合いな感覚
・人より優れていると信じている
・自分は特別であると信じており、その信念に従って行動する
・一般人とはかけ離れた特別な能力や属性を持つ凄い人間と思われたい
・何の実績も才能もないのに、敬われたい・崇められたい願望が強い。
・プライドが高い
・「天才」や「一流」という言葉が好きである。
・誰が見ても凡人なのに、人がみんな自分を羨ましがっていると言う過剰な思いこみがある。

●自分は価値があり、特別で(ユニークでなくても)大いなる称賛を受けるに値する人間だと信じていて、誇大的で自信に満ちた行動をとります。しかし、それに見合うような成果を収めることは少ないです。他人にはわがままで、軽率で、おおちゃくな人間だとみられているにもかかわらず、自分の価値を信じています。

●自分について素晴らしい理想的な自己像を持っており、自分は他人より優れた能力を持っているとか、自分は特別だと思い込んでいます。うぬぼれが強く、根拠も無いのに自信満々です。自分を徹底的に褒め、次から次へと際限なく成功・権力・名声・富・美を追い求め、誇大的な自己像を現実化しようと絶えず努力しています。

●自分が特別な能力や力、あるいは美しさ、才能などがあるという意識が有り、それが周囲から正当に評価されていないという感覚にとらわれています。たとえそれが裏付けられる結果や業績がなくとも、いわば空虚な誇大感に満たされています。

●実際に会ってみると、ひどく子どもっぽく、傲慢で、自分は特別な存在と思い込んでおり、周りが便宜を図ったり、賞賛し、自分を特別扱いするのは、当たり前だと考えています。

●自分は特別な人間だから『他人の権利・価値』を踏みにじっても構わない、『自分の魅力・価値』を公正に評価することができるのは(自分に嫉妬しない)一部の優れた人間だけだという考え方。
自己愛が過剰な人の自己評価は、一見すると、自信満々で尊大な様子から極めて高いように見えるが、他人を否定したり見下したりしなければ維持しづらい自己評価という意味で、かなり不安定なものである。自己愛の過剰と他者の否定を中心にして形成された自己評価は、『見せ掛けの不安定な自己評価』と解釈することができる。


表面的な自信に巻き込まれる周囲の人々


●モラルハラスメントの加害者が、自信満々に行動されると、普通の人間は、できる人間であると錯覚し、できる人間として接するので、モラルハラスメントの加害者は、ますます調子に乗ってきます。

●周囲は誇大化した表面だけを見て、「この人は特別で、すごい人」だと勘違いし、巻き込まれるわけです。
誇大化という、化けの皮が剥がれてしまえば、周囲の人達は、「騙されていた」ことになりますから、信用も失い、当然離れていくでしょう。「利用できるか、できないか」の二極化された関係性しか築けないのも、特徴です。

●自己愛は自惚れが強くて、口が達者で命令したがりだから、
なんとなくリーダー的な立場になることも多いけど、
何も考えずにホイホイ付いて行くと地獄に落ちるよね。


権力や地位への憧れ


●自分が理想とするような権力や能力のある人を理想化し、まるで自分がその人であるかのように考えたり振る舞ったりする非現実な妄想がある(同一化)

●権力に弱く地位・権力に固執します。実力者や注目されている人物、信頼や憧れを抱かれている人物との関係を誇張し実際には顔見知り程度であっても誇張して表現。

●『もっと高いポストを得たい・私はこんな所で終わる人間ではない・自分の才能を最大限発揮できる職場に行きたい・俺はもっと愛されて大切にされるべき人間だ』などの権力や成功、地位、才能に対する欲求が強い。自分を特別な人間として取り扱って欲しいという間接的な意思表示をしたり、相手を自分の思い通りにコントロールしようとする。

●彼らは例外なく「平凡恐怖」を抱えている。自分の内的なものに自信がない彼らが社会で生きていくためには、誰もが目で見てわかるような外的価値を獲得するしかない。学歴、職業、地位、才能、ブランド。理想的な自己像を追い求め続けざるを得ないのは、無条件には愛されなかった証でもある。


妄想癖


・自分が活躍している妄想をしている。
・一人でいる時ニヤニヤしてることがある
皆から愛され、皆の注目を集め、多くの人から惜しみない賞賛を浴びる自分、という白昼夢に耽っている。


誇大感の理由:自己評価の高さは自己無価値感からの防衛


等身大の自分を愛せない理由

●自分には価値がないと感じていると人は無気力感にさいなまれ、生きていけません。そこで人は無意識のうちに防衛のためのしくみを作り出します。それが万能な自分です。自分が他より優れている、他人は自分より劣っていると信じこみ、不安を解消しようとするのです。万能の自分を思い描き、強い自尊心でそれを守ろうとします。しかし、心の奥底には強い自己不信と、親から愛されない不安、怒りが隠されています。

●なにがなんでも自分が優位に立たなければなりません。自分が劣っていることを認めることは、幼いころの痛々しいくらいに哀れで惨めな自分に結びついてしまいます。ですからどんな卑怯な手段を使ってでも、どんなにつじつまの合わない妄想であろうと、自分を守るためにしがみつかざるを得ません。

●自分は無力で価値のない、無意味な存在であるという極度に価値下げされた自己像を抱える子どもは、自己不信が生みだす深刻な抑うつを防衛するために、鏡像で映したような理想的で万能的な自己を発展させて自己をバランスしようとする。甘えと愛を断念して手に入れたのは病理的自尊心であり、背後には茫漠たる自己不信が横たわっている。

●「ナルシシズム」の場合は、その自己否定や自己嫌悪をより強く「抑圧」するために、「反動形成」が行われます。つまり、自分自身を「過大評価」するわけですね。
もちろん、「反動形成としての過大評価」なので、不自然な形で「強迫的」になって現れます。いつでも「自分は特別な存在である」と思い続ける必要があるわけです。そうしていないと、不安になってしまうからです。

●高慢になる人は本当は、心の底では「自分は取るにたりない人物である」と感じています。劣等意識の反動形成として高慢になるのは、自分が劣っていることを心の底では知りながら、それを受け入れられないでいるのです。

2011/07/02 | Comment (5) | Trackback (0) | Edit |
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自慢話や自分の話ばかりする自己愛性人格障害

 [ 自己愛性人格障害 詳細
絶えず自慢したり自分の話ばかりをし、周囲からの注目と賞賛を求める続ける。本当は自分に自信がなく、自分がスゴイということを人を通じて確認し続けないと不安で立っていられない。
自己愛性人格障害の特徴まとめ


自分の話ばかりする


・会話のキャッチボールができず一方的に自分の話ばかりする
・無条件の賞賛や無批判な肯定への飽くなき欲求。
・いつも自分が優位に立ち、賞賛が得られないと気がすまない


●自分の事ばかり話します。前に聞いた事のある話を繰り返し、繰り返し、会う度に話します。自慢話も、さりげなく何度も何度も話します。

●聞かれもしないのに、やたらと自分のことをしゃべりたがる人がいます。話が他へ移ろうとすると、強引に自分の話に戻そうとします。話の内容は自慢話的なものばかりで、聞いている方はうんざりしてきます。他人にはあまり関心がないので、相手がうんざりしていようとお構いなしです。

●自慢や自惚れが多い、過去の栄光をいつまでも過大に語る人 (そうやって自分を奮い立たせないと自分を維持できません)

●おしゃべり好きで演説好きで話が長い。自分の話ばかりをし、人が話をしようとするとすぐに自分の話に置き換えます。人の都合などお構いなしに好きなときに話し自分が満足するまで話し続けます。発言に一貫性が無くコロコロ変わります。

●彼らは他者の願望と主観的体験と感情を認知することが困難で自分だけの関心事について不適当に長々と話す傾向がある

●『自分は業界一位の大企業に勤めていて影響力がある・これまで同世代では抜きん出たプロジェクトを任せられて出世頭だ・自分は学歴も職歴も有能で凄い』など自分の能力やキャリアを誇大に言い回る

●自分を偉く見せるためにすべてを知っているかのように振る舞い、そのために言葉を利用します。
たとえば、難しい専門用語を使ったり、抽象的な表現をする、話を一般化し真実を話しているような言い方をする、誰かを軽蔑し悪口を言う、相手の考えや行動の意味を勝手に決めつけるなどの方法を使います。
また、質問されても答えは言わない、途中まで言いかけてやめる、自分についてはあまり話さないなどの方法で相手の興味を引き、魅力的に見せ、特別な人だと想像させるような振る舞いもします。


自慢話や自分語りばかりする理由


●そうやって自分を奮い立たせないと自分を維持できません

●自己愛者の誇大性と賞賛欲求
自己愛者は自分が素晴らしいと信じている(誇大性)。しかしそれは根拠の無いものなので常に確認しないと不安になる。そこで自分の素晴らしさを確認するために他者からの賞賛を求める(賞賛欲求)。他者からの賞賛は実態を伴わないものなので、いつまでたっても満たされない。この結果、常に賞賛を求め続ける。それはあたかもアルコール中毒者がお酒を求め続けるように、自己愛者は他者から褒めてもらうことを求め続ける。「アルコール依存症」ならぬ「ほめ依存症」である。あるいは「アル中」ならぬ「ほめ中」である。

●「賞賛への欲求」がけた外れに強いのです。「賞賛」こそがこのタイプの人の「原動力」だからです。したがって「自分をほめ たたえるものが真の理解者であり、いい人だと思ってしまう」のです。

●幼児期の子供がそうだよね。その日にあったこととか、自分のこととか、お母さんに一生懸命話して共感を求めるの。
子供の時に「もっと話しを聞いてほしかったのに。。」という感情を残した人ほどそうなるのかな?

●いつも自分のことばかり話している人っていますよね。こういうタイプは、自信満々のナルシストと思われるのが普通ですが、実はその心理の裏には「自信のなさ」が隠れているのかも知れません。
「心が不安定は人は、自身のことや自分の問題をしゃべりたがります。これは自分の問題を一人で解決する自信がなく、周囲から承認や同意を常に求めているのです。」とメリッサさん。
この人はいつも自分のことばかり話して、人の話を聞いていないと思ったら、「きっと自信がないのだ」と同情の目を向けてあげれば、話を聞くのも苦痛ではなくなるかも知れませんね。
自分の話ばかりする人は「自信がない」―米調査結果


話が嘘、大げさ、作り話、話を盛る


・全ての話が大げさ、時に嘘、矛盾の多い過去の自慢話
・作り話をする傾向があり、虚実入れ混ぜた話を創作し、周囲に吹聴して周ります。

●もともと、裏付けのない優越感ですので、話のつじつまを合わせるために嘘をつくこともありますが、本人には嘘をついているという意識はあまりありません。ときにはホラ話のように、話がどんどん大きくなっていって、どこまで本当なのか分からなくなります。

●評価を求めるため、現実的な立場が悪化してそれまでの評価が得られなくなる状況では、時には奇妙な行動に出て注目を集めようとする。その行動がかえって奇妙と見なされることは想像できない。自分自身で(皮相的にでも)評価されることであると感じれば何でもやってしまう。

●ほかの人の同情を引くために、犠牲者であるふりをする
(周囲の状況の難しさを強調する、病気を大げさに言う、過労だと言うなど)。

●仮病・心配・誇張・噂話などの演技的な言動をしてみたり、大げさに自分の感情や都合をアピールしたり、あからさまな嘘を堂々とついてみたりすることで、相手の注意・関心を自分にできるだけ引きつけようとする。相手の興味や活動が自分に向いていないことが耐えられず、常に自分への語りかけや承認を必要としている。


なぜつくり話をするのか


ヒステリー性格では『自分への注目と関心を維持し続けること』が無意識的に志向されており、大袈裟な感情表現や誇大な自慢話をする理由の一端も、自分が実際以上に魅力的な人物であることをアピールして他人の興味や承認を絶えず集めることにあります。

逆に言えば、実際の自分をありのままに表現しても、他人は大して自分に興味関心を持ってくれないのではないか、何か知人が面白く感じる刺激的なことをいつも大袈裟に言っていなければ、知人が自分の元を離れていってしまうのではないかという不安を抱えている状況でもあります。

そこには、嘘や作り話でも良いので、他人があっと感心したり驚いたりするようなことを言っていなければ、特別な魅力や面白みのない自分は他人を継続的に引き付けておくことが出来ないという劣等コンプレックスが介在しており、ヒステリー性格の過度の外向的な親和欲求が直接的に反映されていると言えます。
古典的なヒステリー性格の特徴と自己愛性人格障害:他者への信頼感と共感性の視点


2011/07/03 | Comment (3) | Trackback (0) | Edit |
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他者に関心がなく人の話を聞かない自己愛性人格障害

 [ 自己愛性人格障害 詳細
自分のことで頭がいっぱいで他者に関心が向かわず人の話を聞けない。

自己愛性人格障害の特徴まとめ


他者に関心がなく人の話を聞けない


・自分が興味のあることには熱心だが、相手の好みや興味にはあまり関心を示さない
・自分の話はよくしますが、人の話にはほとんど関心を示さない傾向があり、周囲からは「傲慢な人」という印象をもたれます。

何を話していても、すぐに自分の話題に持っていくのが特徴です。
人の話には全く興味がなく、人が話しているのをじっと聞いてられません。
他の人が話しているときは、次自分が喋るタイミングばかり見計らっています。
そして、ちょっとでも間が空くと、ここぞとばかりにまくし立てて喋ります。
人の話の腰を折るのは得意です。
他の人が話している最中でも、言葉を強引にかぶせて話し始めることがあります。
話し始めると止まらず、相手の反応は気にせず、自分が満足するまで喋り続けます。
このように、相手の視点を考えることなく、自分の視点でしか物を見れないのが自己愛性人格障害の特徴です。
会話も一方的で相手の話を聞いていないので、会話に相互性がありません。

自己愛性人格障害の性質:自分のことばかり話す
人格障害者は、話の途中のキーワードに反応して、
話の筋と関係なく、そのキーワードについて延々と話し出す。
他人の話を聞けない。
他人の話は、自分の話をする叩き台に過ぎず、
結局は自分の話で終始してしまう。

会話をしている中で、沈黙というのは必要な時間である。
言葉のキャッチボールの中では考える時間というのがある。
それが人格障害者には理解できない。
思想がないから常に即答。その場しのぎの言葉ばかりを即答。
ちょっとでも沈黙があったら、そこを突いて割り込もうとする。

自己愛性人格障害(043) しゃべくり
会話とは、通常、相手と自分との接点を見出して、話すものだ。
ところが、自己愛性人格障害者は、この「接点」を無視する。
あくまでも、自分中心の会話(一人語り)になる。

「聞き上手」という人がいる。
上手に相槌を打ちながら、相手の話を聴き出す。

自己愛性人格障害者も、相槌を打つ。
むしろ、大げさなくらい、相槌を打つ。
「そう!そう!」と。

だが、その「そう!そう!」に続けて、自分の話が始まる。
この自分の話と、それまでの相手の話には、何の脈絡も無い。
例えば、相手が消費税の話をする。
それに対し、「そう!そう!」と大げさに相槌を打つや、自分の夫の愚痴が始まる。

自己愛性人格障害者は大げさな追いづちを用いて、いかにも聞き上手のように装うが、実はそれは自分の話に誘導するための仕掛けに過ぎない。
「偽装聞き上手」である。

自己愛性人格障害者の自分語りが始めると、もう誰にも止められない。
完全なる独演会である。

自己愛性人格障害|真実は人を幸福にするか?


他者に関心がない理由


・自分自身は特別な存在と考えているので、他者の権利や欲求に関心がない
・相手のことを家来くらいにしか思っていないので勿論相手の話には興味なしです
・常に他者からの影響を受けて不安定な状態の自尊心を維持するためにエネルギーを大半を注ぐあまり「自分のことで頭がいっぱい」の状態になりがちで、こうなると他者への配慮どころではなくなります。
・相手を一人の人格者として尊重しないという本質的な意味で無関心であり、自らの欲求充足の手段としてしか他人を見なしていない

注目されていないと不機嫌になる


・自分が中心でいないと満足できない
・常に褒められたり注目されていないと不機嫌になる。
・いつも自分が優位に立ち、賞賛が得られないと気がすまない

・自分が褒められているとすごい嬉しそうな表情をする。更に褒められたいのかその話から離れようとしない
・自分が褒められてないと気がすまない。他人が自分以外の人間を褒めているとムカつくらしい

●特別視してほしい
自分が注目されていないと、機嫌が悪くなっていたり意気消沈していないでしょうか。
飲み会など団体で行動している場でこの性質をチェックしてみてください。
モラハラ男は、注目されていないと途端に不機嫌になっています。


2011/07/04 | Comment (4) | Trackback (0) | Edit |
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人の評価を気にする自己愛性人格障害

 [ 自己愛性人格障害 詳細
自己愛性人格障害者は表面的には自信ありげに見えますが、心の底では自分には価値がないと思っており、その不安を払拭するため他者によくみられらることにこだわり、持続的な注目と賞賛を求めます。

自己愛性人格障害の特徴まとめ


他者から評価されることに必死になる


・自分に対する評価を異常に気にする
・誰が何を言ってたかを執拗に聞いてくる
・表面上自信ありげなくせに他人からの評価に敏感で一喜一憂する
・おだてに弱い。
・些細な批判にも傷ついたり、過剰に反応し怒ったりする

●彼らの自己評価はほとんど例外なく脆弱であり他者によくみられらることにこだわり持続的な注目と賞賛を求める。

言動がわざとらしく演技くさい


・表情や立ち振る舞いがわざとらしく演技くさい人
(常に理想の自分、評価される自分を演じています)
・何をするのにも周囲へのアピール感がある人(褒めてくれオーラが強い)
・他人への親切がわざとらしい人(異常な自己顕示欲の強さ)


理由:他者の評価を通して自尊心を維持している


1. 脆弱で揺らぎやすい自尊心
2. その脆弱な自尊心は、もっぱら他者から肯定的に評価されることよってのみ維持される。

●本来持っているはずの「自分自身の存在を大事に思える健全な自己愛」がかけていることで、自分の存在価値や愛情を他人を使って満たそうとする、「自分が自分で認められない人」。自分がないから他人の評価に必死になり、評価を得るためには命がけにもなるのが自己愛性障害。

●他の人に認めてもらわないと自分を維持できないのは、安定した自己像が存在せず、他者という鏡を通してしか自己意識の高揚を感じられないためである。

●『他人に必要とされない自分には価値がない・他人に愛されない自分はダメな人間だ』という他者の反応に自分の存在意義を仮託した信念。他者が自分を愛してくれたり承認してくれた時にのみ自己評価が向上して感情(気分)が安定してくる。

●自尊心がもっぱら(自己ではなく)他者の評価によって決定されるため、常に他者からの影響にさらされ、その度に一喜一憂しがちになります。

●深刻な自己不信や漠然とした空虚さを感じており、本質的には他者に依存している。自尊心を維持するために、絶えず周囲からの称賛・好意・特別扱いを得ようとする。あるいは、自分が理想とするような権力や能力のある人に頼り、まるで自分がその人であるかのように考えたり振る舞ったりする。

●自己アイデンティティが拡散しており、自分が何者であるのかの自己確認を、『他人との力関係(支配・従属)』によって確認しているところがある。
・自己の存在価値や生きがいが他者の反応(存在)によって、他律的に規定される
・自分ひとりで何かを計画したり考えたり行動するだけでは、『安心感・自己価値感』を得ることができない

●自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分が大好きに見えますがその根底にはじつは自分を好きになれない気持ちがあります。ありのままの自分を受け入れられず、つねに強くなくてはならないと思い込んでいるのです。この二重構造がつくられる背景には、もともとプライドに敏感な傾向があり、加えて育った環境の両方が関係するといわれています。子供の健全な自尊心は親に受け止められる安心感を土壌にして育ちます。ところが他人より優れているときや、親を喜ばせた時しか愛されないと、子供の中で自己愛が育ちません。自分の力、価値を認められず、つねに他人の評価を気にするようになるのです。

●高いプライドと自己顕示欲の強さは、自分は特別な存在だから特別に扱われたいという思いからです。心の内側には傷つきやすさや空虚感を抱いています。自信にあふれた様子は単なる見せかけです。精神分析で言う「いつわりの自己」です。自己愛的な人は、他人から見て素晴らしいと思われないと自分に自信が持てません。称賛のなかに自分の理想の姿を見ることでようやく自信をたもっているので、それができなくなると思うと不安になります。

●「自分は特別な存在である」と思い続けるためには、まわりの人が自分を特別扱いし続けてくれることが必要になります。 「ナルシシスト」の一番困るところは、このように、自分の「神経症的思いこみ」のために、まわりの人を巻き込むところです。これほど、迷惑なことはありません。


その一方で「肯定的な評価」しか受け入れられず、些細な批判に傷ついたり、過剰に反応し激しく怒ります。
批判に弱い・批判に激怒する

2011/07/05 | Comment (0) | Trackback (0) | Edit |
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明るく饒舌で愛想のいい自己愛性人格障害

 [ 自己愛性人格障害 詳細
自己愛性人格障害の特徴まとめ

・言語的表現力に長けており上辺だけのいい人
・多くの人から、明るい、頭がいい、仕事ができる、表現力がある、人づきあいがうまい、と思われている。

●内的には不安定であるにもかかわらず、誇大的な自己像や積極的な自己顕示により、「頭がいい」「仕事ができる」「表現力がある」といった長所を持つと思われることが多い。そのため、彼らが不適応行動を起こしたとき、周囲の人は意外な感じを持つことが稀ではない。

●明るい性格は「不安の防衛的性格」でした。別の言葉で言えば、明朗と活発は「躁的防衛」です。本当は自分に自信がありません。その人は自信のなさを隠すために社交的に明るくふるまっていただけです。妙にはしゃいだり、不自然に明るかったり、わざとらしい親しさをふりまく人がいます。内面の自信のなさを、その「はしゃぎ」で隠しているのです。そういう人は無理に明るい性格を演じても、「何でも話せる親しい友達」がいません。皆に好かれたい気持ちが強いから、極端なまでに周囲の人の期待に応えようとします。でもどこかその明朗さは不自然なのです。


自己中心的で、他人を思い通りにあやつって、自己愛をみたす道具にしてしまうタイプです。他人を利用手段としてしか考えていないわけです。ですから、自分の自己愛をみたす手段としてのみ他人と付き合う。人間関係では人と決して深いつながりをもちません。

しかし一見親切そうであたたかみがあり、人の気をひくことが上手で、社交性が発達している人使いがうまいタイプなのです。ちょっと声をかけて人の気をひく、ものわかりのよさそうなポーズを示す、握手をし、肩をたたき、親密感をもたせる。イイ人だ、あたたかいといった錯覚を作り出して人を思い通りに動かしていくタイプです。彼にしてみればみんなが自分に好意をもち、思い通りになることで、自己愛をみたすのであって、決して相手を深く思いやって付き合ってはいないのです。
「自己愛人間」


自己愛性人格障害の被害者の私が言えることは
これはいじめの根本にも言えることだけど、
自分がターゲットになりたくないという保身、
自分に害はないから付き合うという諦観者、
人の見かけや人当りなど表面ばかりで本質をみていない人間は多いんだなということ。
付き合いが浅い、彼にとっての「他人」の前では正反対の自分自身を装うのです。
つまり挨拶をきちんとし、軽蔑する相手であってもに卑屈になるほど腰が低く(この病の特徴がよく現れていますが)、会話も誰とでもきちんとキャッチボールができるというような感じですので、一見彼はちょっとナルシスト的なところはあるが普通の人という印象を与えます。

第一印象としては私もそう思っていました。しかし付き合いを承諾したとたん、彼の本性が分かるまでまったく時間を必要とせず、これは病的ではなく完全な病気ということを知ったわけです。
自己愛性クオリティってなんか気違いじみた努力で成り立ってるんだと思う。

一見、社交的に見えても、それも
1 対人操作して自分が優位に立とうとするためのいい人アピール
2 自分の隠している陰険さが露見してないか確認するためのチェック行動、
3 万が一取り巻きが離れていくときに叩けるような弱みをさぐっておくため、
みたいなものに見えるし、それに毎日必死の暮らしなんて普通の人にはキツい。

一切こちらの情報を与えない、表面的にしか付き合わない、
気力が残っているうちに転職考えたほうがいいように思う。



うわべだけの親切をふりまく理由


どうみても自己愛性な友人がいます。自分のことしか話したがらない、他人の話を聞くふりはすれど実際のところ聞いていない、自己主張、自己顕示の激しい人で他人を素直に認めません。気に入らない相手はこきおろし、見下します。
でも、会話以外の部分では謙虚というか、気にしすぎるほど気遣う傾向があるのです。(でも上記のことから本当に相手のことを考えているのか疑わしい)

例えば、一緒に食事に行くと、時間はまだ大丈夫かとか、誘って迷惑じゃなかったか、とか、疲れてないかとか、、、
何でこういった気遣い?は出来るのに、会話などでは我を通しまくるんだろう。。。と考えるとよくわからないのです。
詳しい方、よろしくお願い致します。
自己愛性の人が謙虚なのはなぜ?

謙虚であることで周囲の人にも自分は良い人間だ、ということを
認めさせたがっているとか?
これだけ気を使えるのだから、自分はとてもよい人間だろう?という
自己満足のためのアプローチ。
その気遣いは、ある意味付け焼刃的な感じかと思えます。
"朝の挨拶は元気良くおはようと言いましょう"と教えられて、どうして元気よく挨拶をしなければならないのか?という理由も知らずに、おはようございます!と、子供が言ってる様なモノです(笑

生きてきた中で学習した、人間関係を円滑にさせるものの中で、分かりやすくて簡単なモノを受け売り的に表現しているだけの様に思えます。

気遣いの本当の意味を知らないが故に、頻繁に気遣いをしている様な表現をし、人間的に出来てますよ・大人な人間ですよ、と示したい(又は、そう思い込んでいる)モノがある様にもみうけられます。(それと同時に、形式的な気遣いが出来ない人物を批判する傾向もあるかと思われます)
つまり、本当に相手を気遣った訳ではないので、ある種の不信を抱く事も人によってはあると想像されます。
まず、自己愛の人は「誰かに同意されることで自身を確認」します。
自分の単純な思いしかない。
=他人には色んな考えがあることを理解していない。=聞かない・認めない。
=自分しかない=自分の事しか話せない。=人の話を聞かない。
自分の思いしかないので、違った意見を受け入れることが出来ません。
ですが、所詮未熟な精神。誰かに認め・同意されることでしか保身出来ないんです。

ということは、「周囲に認めてくれる人」が必要なんです。
このタイプの人に「姉御肌・面倒見がいい」人が多いのはそのせいです。
結局「日頃面倒見ておけば、逆らわれにくくなります」からね。
汚い言い方をすれば「恩を売っておく」訳です。

今回のご相談の中では、そこまでではなさそうですね。
でも、根本は一緒だと思います。
曰く「色んな事に気遣える人って印象を周囲に植え付けておく」ための行為だと思います。
「日頃の気遣いがこんなにできる、よく出来た人間」だから、、「私の言うことは正しい・間違いない」という印象を撒いているんだと思いますよ。

なので、「相手の事を本気で気遣って」言ってるのではありません。
全ては、周囲を自分の同意者に仕立てるための、(自分の為の)行為です。

あと、「我を通しまくる」のは「一定のラインを越えた人」が対象です。
人付きあいの最初は「気遣うモード」で同意者側に引き込もうとします。

そんなパターン・思考が多いと思います。
自己愛者はいつも自信があると思われがちですが、実はそうではなく、
周囲から特別扱いされたがる一方で人から嫌われたり、批判を恐れている部分があります。
(この二つのバランスには同じ自己愛者にも個人差があると思います。)

自己愛には2つのタイプ、
誇張型と過敏型があり、もしかすると
「例えば、一緒に食事に行くと、時間はまだ大丈夫かとか、誘って迷惑じゃなかったか、とか、疲れてないか、、」
の場面では過敏型で実際に気を遣ってると思います。
ただ、本当に相手の事を気遣ってるのではなく、
相手の目線にうつる自分を気にし、人に嫌われるのではないか?
と恐れてるためかと思います。


愛想のいい人と善い人は違う
2011/07/06 | Comment (5) | Trackback (0) | Edit |
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謙遜し、謙虚な人を演じる自己愛性人格障害

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「俺なんか」と、謙遜することで謙虚ないい人に見せる

自己愛性人格障害の特徴まとめ


謙虚な人を演じる


本当は謙虚でもないのに謙虚にふるまって、そのあとで不満になる人がいます。

この、できればいつもほめていてもらいたいと思っている人は、自己卑下することで自分を他者に良く印象づけようとしているのです。

本人は「謙遜の人」のつもりでいますが、謙遜しているのは、うぬぼれが傷つくことを恐れているからです。あらかじめ傷つかないように予防線を張っているのが、彼らの謙遜です。だから彼らは本当に謙遜しているわけではありません。

このような人が自分について語ることを「真」に受けてはいけません。「ああ、そうなんですか」と言えば、相手は不快になります。内心得意に思いながら、「そんなことないですよ」とほめられることを期待しているのです。ほめられなければ不満になります。そしてほめなかった相手に罪悪感を与えようとします。

相手の「本音」と「言っていること」が違うときに、人はイライラさせられます。その違いを人は感じるからです。非言語的に要求していることは、どうしてもこちらには感じられます。しかし表面で言っていることは立派なのだから、非難しようにも非難できません。そこで人はイラつくのです。

「なんかあの人といるとイラつく」というときには、その人と離れることです。理由はいりません。うまく説明できないかもしれませんが、原因はちゃんとあります。自信をもって側から離れることです。
http://morahara.nukenin.jp/99kinouhuzen/kensonburu.htm


日本人的な反応


一般論ですが、アメリカでは口や態度に出さなければ正義感や倫理観は「ないもの」として扱われますす。自分の中にある感情や愉快・不愉快の感情は表に出してなんら問題はない気持ちであるということですね。
それに対して日本では(特に田舎の方では)、内に秘めた感情とかが美徳とか思われています。むしろあからさまな善意や正義感は出してはいけないもののようにもされてる感があります。

どっちがいいとか悪いとかは知りませんが、とりあえず「自己愛性人格障害」についてはその分化(風土?)の違いが症状を違ったものにしているというのです。
アメリカにおいて「自己愛性人格障害」とされる人は非常にわかりやすいといいます。話をしてみて、

①他人の話を全く聞かず、一方的に自分の話をし続ける。
②根拠はないのに、自分は当然に他人に尊敬される存在であると思い込んでいる
③他人に対する共感が全くない

というところがはっきり出ているといいます。
ところが日本人においてはそうした「自分大好き」が他の感情同様表に出ることが好まれないためか、

①’一見相手の話を聞くような素振りを見せる(←実は聞いてない)
②’自分は価値のない人間であることを必要以上に強調する(←そうではない、という返答をあたりまえに期待している)
③’謙虚さや同情心を見せようとする(←それ自体が他人からの同情を受けようという意図である)

というふうに態度を見せるらしいのです。
そのため一般的に発表されている治療方法(アメリカ産ですが)ではすぐに理解することが難しく、まず自分の本心である自己愛的な態度を出させるところから入らないといけないのだそうで。ちなみにこうした本心である自己愛的性格を隠す傾向は男性より女性に多く見られるともあります。

私がそのあたりのことを読んでなるほどなと思ったのは、自分自身一見いい人そうに見えるのに、どこか嫌な雰囲気のある人に何度か出会ったことがあるからです。
そもそも他人を評価するとき、第一印象で判断することも美徳に反すると思われている節もありますのであまり他人に相談はできないのですが、どうしようもなくどこか「嫌」なものがある人というのはいるものです。

ていうか、概ねの人はそういう「どこか嫌」な感じの人のことを嗅ぎとる能力はあっても、その情報をあえて他人とは共有しないようにしているフシもあります。

個人的に思うのは、もしかしたらこの「自己愛性人格障害」は—とは少し違うかもしれない似た性格の人は—以外と身近にいるのではないかということです。
身近にいる自己愛性人格障害

2011/07/07 | Comment (0) | Trackback (0) | Edit |
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自己愛性人格障害者の外見・顔、笑顔がうそ臭い

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ギョロ目で爬虫類顔が多いと言われています

ターゲットと自己愛(イメージ)

自己愛性人格障害の特徴まとめ

ギョロ目・つり目・爬虫類顔


・実年齢に対して顔立ちが幼い。年齢不詳タイプ
・爬虫類を彷彿とさせる顔立ちである。例:ギョロ目、つり目、ソース顔
・素の顔での目が爬虫類系の人(常にタゲや自己利益を探していて獲物を狙う目になっています)
一般的には、自己愛性人格障害者は目に特徴があると言われる。
ギョロギョロしていて、何か獲物を探しているように思える。
そして、もうひとつ、自己愛性人格障害者の特徴を語る人が 必ず挙げるのが、
顔が爬虫類系であるという点である。

自己愛性人格障害 外見的特徴
私の体験では、この性格障害を見分けるためには、目を見るとよいと思います。
爬虫類の目のような気味悪さが後々まで残ります。
自己愛決定表
・ギョロ目(四白眼、目が真ん丸)
→口だけ人間の典型的な目。試す/利用するなど相手の精神を日常的に弄ぶ
・つり目(狐、猫のような)
→目に見えるモノでしか他人を評価できない。
・実年齢より若い
→超要領型人間。本当の意味で苦労知らず。精神的に未熟な輩が多い
・昔と顔の変貌が殆どない
→同上。
危険オプション
・目がギラギラしている
→人相学的に喧嘩や争いを好む危険な目
・白目部に血管が無数に走っている
→犯罪者が極刑を受ける前に見せる異常な心理状態を表す目

※つり目で糸目という被害者談も多く見られましたが、その後に必ず○国人のような、という記述がありました。確かに怒りの感情を抑えられない、プライドが高い、マネをし起源を主張するなど通じるところはあるのですが…。国民性となるとまた別問題かなと思いますが参考になると思うので追記しておきます。


なぜ爬虫類顔になるのか


自己愛性人格障害の人は、爬虫類顔だとよくいわれますよね。
しかし、顔というのは生まれつきのものですよね。
それとも虐待により脳のどこかが壊れて爬虫類型の脳になって、
それが顔に反映される、ということでしょうか?
僕がであった自己愛の人は、
爬虫類顔だったり昆虫顔だったり目がぼやけているような感じの人でした。
その人たちは例外なく支配的な母親のもとで育った人でした。
脳が壊れることで顔つきも変わる、といったことはあるのでしょうか?

こちらに爬虫類脳と自己愛性人格障害の関係をまとめました
自己愛性人格障害の特徴


なぜギョロ目になるのか


ストレスが高じると人の自分に向けられる視線が全方向から感じるようになります。そのような方を観相を通して観察すると、それを警戒するのか緊張すると眼球が左右に落ち着かずに動き、警戒態勢で顔が少し下向きにして静止したりする姿を見かけます。
心の病があるひと、自分では自覚が無い人がいます。かれは自分の不調の原因を自分の外を探します、周りの人が環境が、きっと何かが原因だと一生懸命敵をさがすのです。
探している状態は他人にしてみれば、奇異に映ります。目が横に頻繁にうごいているからでしょう。
こういう状態は脳が興奮状態にあります。脳は感覚を司るので、視覚、聴覚、味覚、など、色彩感覚も鋭くなるでしょう。
誰かに見られている感覚がたまらないストレスな人へ。


自己愛人間は、実力の認識や、独り立ちする自信を発達させられません。そして周囲に目を走らせ、「足りないものや必要なものを与えてくれる他者」を探し出す能力を磨きます。


騙すための笑顔


現実の世の中でもっとも恐ろしいのは「憎しみの顔」ではありません。「ニコニコした笑顔の仮面をかぶった憎しみの顔」です。モラハラ加害者は、非言語的メッセージと言語メッセージが矛盾しています。心理的に健康な人なら、そこに反応します。つまり「この人、イヤだ」と思います。

動物的な感覚が衰えていなければ、相手の「立ち居振る舞い」、言葉使い、目の動き、手のしぐさ、歩いているときの後ろ姿などから、毒を嗅ぎ分けられます。動物的感覚だから、なぜその笑い方に「すさんだ心」が表れているのか、なぜ相手がそういう人なのかを「証明」はできません。しかし、「わかる」のです。

相手の「すさんだ心」はふとした振る舞いの中で出てしまうものなのです。「人を利用してずるく立ち回ってきた生き方」が、笑い方一つにさえ表れます。それは本当に瞬間的に小さな小さなことに表れます。「きずな喪失症候群」の人の笑顔には毒があります。「騙すための笑顔」です。顔が笑っていても目が笑っていません。笑っている顔に警戒心があります。

モラハラ被害から抜け出すためには、会話の時に、相手の「言葉」ではなく「表情」に注意することです。極端に言えば言葉はどうでもよい。相手の言葉は耳ではなく、眼で聞きます。そして「この人は、何を言いたいのか?」と考えます。「心の眼」でものごとを見る習慣を身につけます。
騙すための笑顔より


2011/07/09 | Comment (42) | Trackback (0) | Edit |
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世話を焼く、悩み相談が好き、物を贈る自己愛性人格障害

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評価を得るため、自分の立場を良くするためにちょっとしたお世辞を言ったり、プレゼントをしたり、人の世話を焼きたがる。恩を売ることで優位に立ち、相手を思い通りに動かそうとします。

自己愛性人格障害の特徴まとめ

プレゼントを贈る


・差し入れやサプライズプレゼントをする
・気に入られようと、お世辞を言ったり、プレゼントをしたり、ちょっとした世話を焼いたりする。

●相手が自分から離れて行く状況では、(それ以外に関わる方法を学習する機会が無かったために)、とたんにサービスに転じ、表面的におだてたり、特に金品を与える行動に出ることが多い。そのことで逆に周囲を傷つけることも少なくない。

●金やプレゼント
自己愛性人格障害者は、相手が離れようとするとそれまでの行動とは打って変わって、サービスに転じます。特に金を渡したり、プレゼントを与えたりする行動を取ります。
相手は「本当はいい人なんだ」と思い、被害者はなかなか別れることができず、同じ事を繰り返してしまいます。


弱い人、困っている人の世話を焼きたがる


・弱ってる人間、他人の世話が必要。(自己愛を満たすために人を利用。)
・何事も首を突っ込みたがる。率先して相談役に廻りたがる
※他人の不幸で自身のアドレナリンを増やす
・してもらうよりしてあげるという感覚を持ちたがる
・「やってあげる」「してやってもいいよ」など、いつも上から目線である

●困っている人を見ると、放ってはおけなくて、すぐにでも駆けつける。相手の行き詰まっている問題に対して、意見したり、忠告したり、何かしてあげられることがあることに、わくわくする。相手の悩みが解決されると、内心がっかりする。こうした行為に対して、相手からの感謝が足りないと、怒りを覚える。


なぜ人の世話を焼きたがるのか


・人のために何かをするが、報酬を期待している。
・面倒見の良い私、を演出するためにダメな人や不幸な人を利用
・自分より不幸な人間を見ていることでプライドが癒される
・頼られることによって無力感や劣等感から解放されるから
・面倒を見ておくことで優位に立ち逆らわれにくい支配関係を作る

●自己愛の人は「誰かに同意されることで自身を確認」します。
ということは、「周囲に認めてくれる人」が必要なんです。
このタイプの人に「姉御肌・面倒見がいい」人が多いのはそのせいです。
結局「日頃面倒見ておけば、逆らわれにくくなります」からね。
汚い言い方をすれば「恩を売っておく」訳です。

●無力感に悩まされている人間は、「してもらった」より、「してやった」という気持ちを持ちたがります。そのため、おせっかいをしたうえに感謝を要求します。「してやった」という恩着せがましい態度は、無力感に悩まされている人間がとりがちな態度です。不安感にさいなまれ、自分の人生に意味を感じられない人は、相手になにかをしてやり、感謝されることで自分の存在を確認しようとします。

●無力感や劣等感に苦しむ男性が、求めるものは“頼られる”ことです。頼られることによって、その人は無力感や劣等感から解放されます。それに何よりも相手から感謝を期待できます。無力感に悩む者にとって、他人からの感謝ほどうれしいものはありません。「自分がいなければあいつはまだダメだ」と思うことは、気持ちの安定をその人にもたらします。

不幸な人を見ると喜んで世話をします。しかし相手が幸福になることを決して許しません。その人は不幸な人を世話することで、自分の無価値感を克服しようとしているからです。相手が不幸であるからこそ自分の支配欲が満たされ、自分の優位が確立されます。搾取的な構えの人は、不幸な人が幸せになろうとすると妨害します。

彼らの一時的な親切は、「少しでも『自分の方がましだ』と思える立場にいたい」という動機にもとづいています。だから不幸な人間は格好の餌食になります。なぜなら、自分より不幸な人間がいて、自分をはげましてくれる不幸な話を聞かせてもらえるからです。自分より不幸な人間を見ていることでプライドが癒されるのです。

●弱ってる人間、他人の世話が必要でその人の面倒を看るやさしい、すばらしい人間。自分の自己愛を満たすために人を利用するのです。
しかし、もともと自己愛性なので面倒になれば簡単に捨てます。なんせ自己愛満たすのが目的なのですから。また、賛美してくれそうな感謝してもらえる人間探すだけ。

●「色んな事に気遣える人って印象を周囲に植え付けておく」ための行為だと思います。「日頃の気遣いがこんなにできる、よく出来た人間」だから、、「私の言うことは正しい・間違いない」という印象を撒いているんだと思いますよ。
なので、「相手の事を本気で気遣って」言ってるのではありません。全ては、周囲を自分の同意者に仕立てるための、(自分の為の)行為です。

●期待した反応がないと「自分がこんなにしているのに」と相手に不満を持ちます。

救済者というイメージを演じるために弱者を必要とする


自己愛性人格障害の傾向を持った人の場合も、注意が必要です。こういうタイプの人は、自分の歪んだ自己愛を満たすために、弱者を利用しようとします。誇大に膨らませた救済者というイメージを演じようとするのです。そして、その輝かしいイメージを演ずるために弱者を必要とするのですが、あくまでも本来の目的は、栄光に満ちた誇大なイメージを演ずることにありますので、弱者はそのための単なる道具として扱われます。
このようなタイプの人は、救済者というイメージを演じられなくなると、とたんに手のひらを返したように冷淡となり、まるで気に入らなくなったオモチャを捨てるかのようにして、弱者を簡単に見捨ててしまうのです。

ありがた迷惑になることもある


●自己中心的な人の「親切」は「相手の身になって考えて行動した親切」ではなく、親切の押し売りであり「ありがた迷惑」だったりする事があります。価値観や考えが違うと、親切も押し付けがましい行為になり、相手に迷惑になってしまうわけです。

●自己愛者は自分の考え=周囲の考えと思い込んでいます、
これは自己中心的な感情からきているのでしょうか。
これが悪く出るのが自己愛者にとっての優しさや思いやりのものさしです。
相手がこうして欲しいと考えるのではなく、自分がこうしてあげたいという気持ちを優先します。
だから相手にとってはまったく優しくしてもらったおぼえがないのに、
自己愛者からしてみれば「いつもあれだけ優しくしてやってるのに!」といた憤激の原因となります。

悩み相談にのりたがる


●自己愛的な人間は自分を立派に見せることで頭がいっぱいなので、自信喪失して悩みを相談する人をダメ人間のように扱います。その結果、相手をより深い自信喪失に追い込みます。自分を有能な人間であるという印象を相手に与えることで頭がいっぱいな人は、相手の悩みには本質的に無関心なのです。

■良く思われたい相手の場合
自己愛性人格障害、一見して人が良く優しい感じに思えますが、実は中身がないんですよ。
人に優しくするのは、自分がいい人だと思われたいための演出。
なので過剰なほどのサービスをするんですよ。
人の相談も何だって聞き、相手を慰めるのも上手なんですが、言葉は同情しか出てこないわけです。
なぜなら、ちょっとでも批判すると感謝などされないでしょ?
人に認めて欲しい、人から必要だと思われたい、そのためなら安っぽい同情くらい何時間でも出来るわけですよ。
だから、自己愛性人格障害の人の言葉には『心がない』と言われています。


2011/07/10 | Comment (9) | Trackback (0) | Edit |
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共感性が低くデリカシーや思いやりが欠如している自己愛性人格障害

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自己愛性人格障害の特徴まとめ

共感性の弱さ


・周囲にも自分のやり方を押し付けがちである
・相手も自分と同じものが好きでなければ気が済まない
・人が自分のアイデアや計画に従うことを期待する
・自分の考え方や意見に異を唱えられることをいやがり、無条件に従うことを要求する

・人それぞれという発想がなく自分と価値観の違う人を理解しようとしない
・他人の気持ちに共感することや、心を通わせあおうという気持ちがない
・性格が合わないなら関わらないという事ができない
・考えの合わない人間は潰すか自分に合うように矯正しなければと思っている

・レストランなど、自分の奢りな場合、メニューを勝手に決める。
>>自分がいいと思っているものは、人もいいと思うため。
ここのステーキおいしいんだ~と勝手に注文し、相手が肉が苦手などは無関係。
餃子のタレを好みに関わらず勝手に作ってしまう人もいる。
>>好みは人によって違うというのが理解できない。
自分がいいと思っているのに、何が気に入らないんだ?と思うらしい。


思いやり・デリカシーの欠如


・真の共感性(思いやり)の欠如、他者の内面・心情に対する関心(想像力)の乏しさ。
・共感性が乏しいために他人の痛みに対して鈍感で、ある種の酷薄さ、自己中心性がつきまといます。
・デリカシーの無さ(相手が嫌がっている事が分からない極端な鈍感さと相手を追い込んでいることへの自覚の無さ)
・他者への共感能力の欠如と愛情を注ぐ動機づけの低さ。
・異常に空気が読めない人(他人の気持ちを読み取れない)

・他者に対する依存レベルと要求レベルの高さ。
・部下にはハイレベルな達成を要求するが、その達成に必要な支援などはほとんどしない

●『自分の苦しみ・寂しさ(孤独)・つらさ』の感情は強くアピールしてくるが、『他者の苦しみ・悩み・疲れ・ストレス』を推測して理解することができないため、思いやりやデリカシーがない(この人に話しても無駄だ、何を言っても通じない)と思われがちである。重度のモラルハラスメントになると、相手の不調・病気・困難を無視する『共感性の欠如・他者の内面や事情に対する無関心』が見られるために、人間関係そのものの修復が極めて困難になる。

●『そのくらいの風邪は大したことないよ・私なんかもっと酷い怪我をして大変だったよ・仕事に比べれば家事育児なんて簡単なもんだと思うけど(私に比べたらあなたは楽で羨ましいよ)・その程度できついとか大変とか言ってたら社会じゃ通用しないぞ・病気になっても這ってでもやるべき仕事はしないといけないんだ』など、他者に対する共感性が著しく欠如していて、思いやりのない言動をする。また、相手が苦痛や不調について訴えていても、自分の経験談や説教めいた苦労話にすり替えたりする。

●『それは君が間違っているよ・なんでそんな簡単なこともできないの・本当に何をやってものろくてダメだな・そんなんじゃどこに行っても通用しないよ・いつまで経っても上達や進歩がないんだね』など、“上から目線での審判的・説教的な物言い(=傲慢で支配的な言動)”が多いために、話し相手に重圧感・不快感を与えているのだが、そのことに対する自覚は極めて乏しい。

●「自分に有利か不利か」だけには幼少期から鋭敏な状況認知が出来、自分への低い評価には過剰に反応して攻撃的となる。逆に人に対する気配りは全く出来ず、残忍で攻撃的な発言も多い。
物事の捉え方が非常に浅薄、表面的で、理由や経過を問わず結果としての言葉だけにこだわったりする。
周囲から見ると、「自分に不利なことを言われたことはいつまでも執念深く覚えていて、また察知も出来るのに逆に相手を攻撃したことはすぐに忘れ、相手が傷つくことも全く分からない」という非常に自己中心的な見かけとなる。


他者に興味関心がない


・自分のやりたい事以外の他人の事情(都合)にほとんど配慮できない
・自分が興味のあることには熱心だが、相手の好みや興味にはあまり関心を示さない
・自己陶酔的な特権意識を持っており他者に自分を特別扱いしたり厚遇するように要求するが、その一方で、他者の感情や権利に対して配慮や共感をすることがない。


理由:なぜ共感性が低いのか


・親しい他者にも自分と同じような考え方・接し方をして欲しいという欲求が強くなり過ぎてしまう

・自分自身は特別な存在と考えているので、他者の権利や欲求に関心がない

・他者に褒められたい自分が優位に立ちたいという『支配欲求・自己顕示欲求』が過剰になると自己愛性パーソナリティ障害に見られる“他者への共感性(他者の人格を尊重する感情)の欠如”が見られやすくなります。

・常に他者からの影響を受けて不安定な状態の自尊心を維持するためにエネルギーを大半を注ぐあまり「自分のことで頭がいっぱい」の状態になりがちで、こうなると他者への配慮どころではなくなります。

★「立場の弱い人間は、すべて自分の思うように動くはずだ」という、全能者のような考えを持っている自己愛的な人間は「思いやり」が最も欠けている人間です。周囲が自分の思うように動くはずだという気持ちでいるので、相手がそのように動かなければ不満になります。

●他者と人間関係を持つにしても、それは自らの自尊心を支えるために人を利用しているにすぎない。本当の意味で他者に共感したり、思いやりを持ったり、感謝したりする能力に乏しく、他者との現実的な信頼関係を持つことができない。 良心に乏しく利己的な人間である。

●自己愛性人格障害ってことは『良心が無い』という事
良心があれば『自分が~されたらうれしいからしてあげる』『自分が~されたら嫌だからしない』という思考回路が働きます。『相手の立場に立って物事を考える心・自分の立場に置き換えて考える事』で人間関係を円滑にできます
良心が無くなると、『相手の心が想像できない』のです。人を殴ったとしても『自分の拳の痛み』は判るけど『殴られた側の痛み』は一切想像できないんです。


表面的な思いやりを示すことはある


なお学習の結果、うわべだけの思いやりを示すことは可能である。


「思いやり」があったと思った言葉が、実はただの「振り」だったことを知った時、人形(ひとがた)をした「張りぼて」と話している「気味悪さ」しか感じられなかったのが悲しい。



2011/07/11 | Comment (42) | Trackback (0) | Edit |
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