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モラル・ハラスメント

 [ モラハラ・自己愛
家庭でも学校でも職場でも、人間関係に悩んでいる人はたくさんいる。
どうしてあの人は自分のことを認めてくれないのだろう?どうして皮肉を言ったり、嫌味を言ったりして自分のことを傷つけるのだろう?あるいは、自分を見るたびに顔をそむけ、口をきいてくれないのだろう?あなたはそういった経験をしたことはないだろうか?

そんな時、あなたはもしかしたら、相手がそういう態度を示すのは自分がいけないからだと考えるかもしれない。そうなったら、あなたは相手にわかってもらおうと思って一生懸命説明したり、自分に対する怒りをとこうと思って相手に尽くしたりする。だが、それはまちがっている。あなたはもしかしたら、モラル・ハラスメントの加害者を相手にしているかもしれないからだ。
「モラル・ハラスメント 人を傷つけずにはいられない」(マリー=フランス・イルゴイエンヌ)より


モラル・ハラスメント


加害者とは


モラル・ハラスメントの加害者は「自己愛的な変質者」です。誇大妄想的で、自分には才能があり、仕事ができると思っています。また人からもそう認められたい。極端に自己中心的で、自分は賞讃や賛辞を求めるのに、他人に対してはまったく共感することができません。

自己愛的な人間の目的は、自分が偉く思えるようなシステムをつくりあげることです。被害者は「スケープゴート(身代わりの犠牲者)」として選ばれます。

加害者は相手を認めない態度をとります。「おまえは駄目だ」と思わせるようなことを繰り返し言って、相手の長所を認めず、最後には自分でも駄目な人間だと相手に思わせるのです。加害者がこういったことをする目的はただひとつ、相手を貶めることによって、自分が偉くなったと感じるためです。

加害者は子供の頃に精神的に傷つけられた経験を持っています。その経験から、相手に苦しみを押しつけ、相手を犠牲にして、自分を「価値あるもの」にしなければ生きていけないのです。ただ自分が優れていることを証明するために、他人を貶めたり、自分が生きていくために他人の精神を破壊する必要がある人間なのです。

「子供の頃のトラウマ」のせいでこういった人格になったことから、加害者は「過去の出来事の被害者」であるとも言えます。しかし守られるべきはまずモラハラの被害者のほうです。

モラハラとは


加害者のモラハラは、自分を「抑うつ症」や他の精神病から守る防衛措置です。自己愛的な性格が「変質的」な段階にまで高まった人間は、自分を守るために、他人の精神を平気で破壊します。しかも、それを続けていかないと生きていけません。「変質」とはそのような意味です。

加害者は、「自分の欠点」から目をそらすために、他人の欠点を暴きたてているのです。もし自分に欠点があることに気づいたら、不安が「精神病のレベル」にまで高まってしまいます。相手の欠点を責めるのはそこから身を守る方策なのです。加害者が落ち着いた生活を送るためには、<悪い部分>をすべて他人に肩代わりしてもらわなければならない、被害者は、「加害者にとって耐えられないもの」をすべて引き受けてくれる「入れ物」、「スケープゴート」なのです。

加害者は自分の身を守るために、他人の精神を平気で破壊します。関係を持つ人間の「健康な自己愛」を打ち砕き、相手が自分に脅威を与えないようにしようとする人間です。また、相手の自己評価や自信なども打ち砕こうとします。このメカニズムがうまく働けば、被害者になった人物に憎しみを向けるだけで、モラハラの加害者の心は落ち着き、それ以外の人々に対しては「感じのいい人間」としてふるまうこともできます。

モラハラの加害者は自己愛的な性格であるだけに、相手の欠点を指摘したり、「自分はつまらない人間だ」と本人に思いこませることに喜びを覚えます。相手が自分に誇りを持てない状態にするのが嬉しいのです。

被害者とは


しかし、どうしてその被害者でなければならなかったのでしょう?加害者は被害者に精神的な暴力をふるうことで、自分が「抑うつ状態」になるのを防ぎ、自分と向きあうことや反省したりすることを避けます。被害者はそのためのスケープゴート(身代わりの犠牲者)です。選ばれたのは、まず加害者の側にいたからであり、どういう形であれ加害者の邪魔になってしまったからです。

人々はモラハラの被害者のことを「弱いからだ」「その人間に何かが欠けているからだ」と考えます。しかし、事実は反対です。被害者は加害者が持っていなくて、自分のものにしたいと思っているものを持っています。だからこそ、被害者に選ばれたのです。

この支配関係のなかで逆説的なのは、加害者が相手の力を恐れれば恐れるほど支配力を強めていくということです。つまり、相手が自分より優位だと思うと恐れる気持ちが強くなり、より強力に相手を支配下におこうとするのです。相手が誰かにほめられたりして、自分よりも優位に立ったと感じると、加害者はいっそう激しく相手を批判します。


小さな嫌がらせの積み重ね


モラハラの加害者は自己愛的であるだけに、絶えず誰かを軽蔑していなければなりません。そうでなければ、自分が他人とはちがった特別な存在であるという思いが脅かされるからです。その軽蔑はまず自分が憎んでいる相手に向かいます。相手のすることや考えていることはもちろん、時には相手家族や友人までが軽蔑の対象となります。そして、この場合、軽蔑は皮肉や冗談の裏に隠されるのが普通です。

モラハラのやり方は、猫がねずみをいたぶるようで、一見とるに足らない小さな嫌がらせの積み重ねです。モラハラの加害者は人をいたぶる機会があったら、それを逃しません。悪意のほのめかしをしたり、ウソをついたり、ちょっとした言葉で相手を辱めたり、とモラハラを行う方法はたくさんあります。その方法を駆使して、相手の心をゆさぶり、精神状態を不安定にさせていきます。
加害者はわざと曖昧な言い方をします。そうしておけば、「そんな意味ではなかった」と言って、巧みに言い逃れることができるからです。<ほのめかし>という手法を使うことによって、加害者は自分の身は安全なところにおきながら、相手に非難のメッセージを伝えることができます。発言に言外の意味を持たせ、相手を攻撃しておきながら、そんなことは言わなかったと言外の意味のほうは否定します。いつでも言いわけのきく安全な立場にいるので、被害者が問いただすと、加害者のほうは「そうやってなんでも悪く受け取るのは被害妄想だ」と答えるのです。こういったやり方は、相手を不安にさせるのに絶大な効果を発揮します。

被害者がその苦しみを伝えるのは難しい。加害者の言葉がどんなイントネーションで言われたのか、その裏にはどんなほのめかしがあるのか、それが非常に重要なことだからです。攻撃は巧妙で、一つ一つを見れば、別に気にする必要もない、取るに足らないものであることが多い。しかし、それが全体としてまとまりを持った時には精神を破壊するだけの力を持ってくるのです。そのため、たとえ加害者が相手を精神的に破壊するのに成功したとしても、まわりにいる人々は二人の性格が合わなかったせいでそんな不幸が起こってしまったのだと考えるのです。
モラハラの目的は、悪意を持って(場合によっては加害者はその悪意を意識していないことすらあります)、相手を傷つけることです。なんらかの形で「目障りな人物を追い払いたい」それだけです。

モラハラ的な状況、つまり被害者が何をしてもそれはまちがっていることにされ、起こったことはすべて被害者の責任にされてしまう、その状態から抜けだせなくなってしまうと、被害者は恒常的な不安を抱くようになります。人間というのは一時的な悪意には耐えられますが、その悪意が日常的に、また繰り返し示されると、持ちこたえることができません。しかも、その悪意を示す人に対してやり返すことも、弁明することもできない状態であれば、最後には病気になってしまうのです。


コミュニケーションを拒否し話し合いを避ける


加害者の攻撃の特徴として、「コミュニケーションの拒否」があります。加害者は相手との「対立」をはっきりさせません。対立がはっきりすれば被害者は状況を理解して、話し合いを求めてきたり、行動に出たりするからです。そうなったら、加害者は相手を不安な状態にすることができず、相手に身を守る余裕を与えてしまいます。
といっても、もちろん、加害者が言葉を使わないわけではない。加害者はむしろ言葉を使うのを得意とする。だが、それはいつも歪んだ形で、相手を攻撃する武器として使われるのだ。ちょっとした嫌味や皮肉、ほのめかしや当てこすり…。そういった言葉で、加害者がまず相手を攻撃すると、そのあと加害者は相手との話し合い;つまり、本当の意味での言葉によるコミュニケーションは拒否する。
加害者は「対立」をはっきりさせないようにしながら、<相手を認めない態度>によって、日常的に攻撃を加え、相手から自信を失わせ、あらたな攻撃の準備をするのです。「対立」がはっきりしなければ、相手は話し合いで問題を解決することができず、ただひたすら不安な状態に置かれることになります。
被害者のほうは、言葉によってきちんとしたメッセージが伝えられてこないので、ほんのわずかな仕草から相手の気持ちを読み取らなければならなくなる。そうなったら、加害者は肩をすくめるなり、ため息をつくだけでよい。すると被害者のほうは、「自分は何をしたのだろう。何か行けないことをしたのだろうか」と一生懸命考えて、悩むようになる。はっきりした言葉で表現されないだけに、ひとつひとつの動作がすべて非難のように思えてくるのだ。


相手を認めない態度で傷つける


加害者は言葉以外のコミュニケーションによって「相手を認めていない」というメッセージを伝えます。たとえば、何度もため息をついてみせたり、肩をすくめてみせたり、軽蔑するような目で見たりします。加害者が言葉を使う時にはいつも歪んだ形で使われます。相手を不安にさせるようなニュアンスをしのばせたり、悪意のあるほのめかしをしたりします。またそれとなく「不愉快な指摘」をすることもあります。

こうして、加害者は被害者がしたことや言ったことを否定して、「君には能力が欠けている」というメッセージを伝えていきます。こういった陰険なやり方によって本人に自分自身の能力を疑わせ、自信を失わせるのです。


被害者はトラウマを負う


いっぽう被害者のほうは、この言葉の攻撃に対してそれほど反応を示さないことも多い。被害者はもともと他人を許す傾向にありますし、また、加害者の言葉にそれほどの悪意がこめられているとは、少なくとも最初のうちは気がつかないからです。被害者が加害者の言葉の攻撃性に気づくのは、その攻撃がほとんど「習慣化」してからです。その頃には攻撃も激しくなってくるので、さすがの被害者も、加害者の言葉には悪意があるのではないかと疑うようになってくるのです。

加害者の暴力をはっきり認めるようになると、被害者はショックを感じます。それまで、被害者は加害者をそれほど警戒していませんでした。それどころか、相手を信頼しすぎていたきらいさえあります。しかし、ある日、突然、自分が相手の玩具であったことに気づくのです。自分は被害者であり、相手に弄ばれたのだと理解します。この思いがけない発見に、被害者は深いトラウマ(心的外傷)を負います。

相手を支配している段階では、加害者は「すべてを知っていて、物事を正しく判断できる全知全能の人間」のようにふるまっています。それだけに騙されていたと知った時の被害者の幻滅は大きい。困難な状況や危険な状況が人を抑うつ状態に陥れるのではありません。無力感や敗北感、罠にはまったという屈辱感が抑うつ状態を引き起こすのです。


周囲のひとたちを巻き込む


加害者は特に他の人間がいる前で、被害者を馬鹿にするようなことを言います。それは取るに足らないことから始まり、次第に被害者の心の領域にまで踏み込んでいきます。被害者のしたことや言ったことをおおげさに暴きたてて、冗談の種にするのです。その時に、まわりにいる人間の誰かを味方につけることもあります。その目的はもちろん相手を傷つけることです。
他者否定的な人は、自己否定的な人には押しつけがましくなります。自分の趣味や考え方を押しつけます。自分のお気に入りの歌手とか趣味に対して、相手がちがう好みを示すと、「だからお前はダメなんだよ」と否定します。仲間といる時には仲間と、いかにもこいつはダメだというように、顔を見合わせて笑います。

相手が不愉快になったことを楽しみ、相手が傷つくことで勝ち誇るのです。他者否定的な人は、親しくない人に対してはビクビクしているので立派な態度をとります。「あざ笑い」の対象は、あくまでも従順な人です。被害者は、被害による心の痛みと、自分がエモノのようにあつかわれたということで自信をなくし、自己否定をするようになります。
加害者は自分のほうが優位に立ちたがるので、被害者に対してかなり批判的な態度を示します。特に人前で相手を嘲弄するようなことを言ったりします。そうして、あとで被害者がそのことを話題にしようとすると、冷たい態度で、「そんな小さなことで騒ぎたてるなんて、君は恨みがましい」と非難します。もちろん、嘲弄するのはやめません。
加害者は挑発を繰り返し、被害者を苦しめ、いらだたせます。加害者が被害者をおとしめ続けるので、まわりの人間も被害者を軽んじるようになります。被害者が反論すると加害者は、「こいつは頭がおかしいんだ。まったく、こうやっていつも職場の雰囲気を乱すんだ」などと非難し、責任を被害者に押し付け、被害者に劣等感や罪悪感を植え付けようとします。


挑発を続け加害者に仕立てあげる


相手を嘲弄したり、皮肉を言ったりと、加害者が言葉による攻撃をしかける裏には、論争を行って「相手に反発させたい」という気持ちも含まれています。加害者は相手を支配下において、「相手に反発されても自分が脅かされないという状態」をつくったうえで論争をしかけるのです。その論争とは自分が勝つためのもので、決してまともな議論ではありません。相手を貶め、自分が偉く感じられれば、その目的は達成されるのです。
モラハラの加害者は自己愛的な性格であるだけに、相手の欠点を指摘したり、それによって相手に暴力をふるわせて、「自分はつまらない人間だ」と本人に思いこませることに喜びを覚えます。相手が自分に誇りを持てない状態にするのが嬉しいのです。言葉はあいかわらず間接的に使われ、その暴力性は巧妙に隠されています。
加害者の理想は他人を<悪>に引きずりこむことにあります。
まわりに証人がいるような場合は、小出しに攻撃を加えて相手を挑発していきます。相手が怒りだすように仕向けるのです。そうして、相手が声を荒げたりすれば、自分はたちまち被害者の位置に身をおき、相手のほうを攻撃的な人間に見せてしまうのです。まわりの人間には被害者の状態が見えないのです。
被害者は加害者の行為によって、次第にいらだつようになります。すると加害者はたちまち「君は怒ってばかりいる攻撃的な人間だ」と言うようになります。被害者が感情的な行動にでれば加害者に利用されます。「あいつは頭がおかしい」「暴力的な人間だ」とかあちこちで言いふらしたりします。攻撃に押しつぶされて、被害者がとげとげしくなったり、仕事もできないほど落ちこんだりすれば、モラハラは正当化されることになります。「ほら、やっぱり、あいつはどこかおかしかったんだ!」というわけです。
ここまで来ると、被害者は何をしようと、辛い状態から抜けだせなくなります。行動を起こせば、「好んで騒ぎをひき起こす人間」にされてしまうし、行動を起こさなければ、加害者の暴力を甘んじて受けなければなりません。被害者は八方塞がりの状態に置かれてしまうのです。


直接的な暴言


モラハラの加害者は被害者を支配下におきます。しかし、ここで被害者がその支配に反抗すると、加害者の心には憎しみがわきおこります。これまでは利用価値のある「モノ」にすぎなかった相手が、突然、危険な存在になるのです。この危険はどんなことがあっても遠ざけなければならない…。こうして、加害者は被害者にモラハラ的な「暴力」をふるいはじめます。

加害者の、被害者に対する憎しみは、被害者の反抗によって突然わきおこったものではありません。もともと被害者を支配している段階から加害者の心のなかにありました。支配と服従の関係を固定する目的で、加害者の心のなかでも慎重にそらされ、覆い隠されてきたものが、表面に浮かびあがってきたのです。そうなると、加害者は徹底的に相手を破壊しようとして、さまざまな「暴力」をふるうようになります。

「暴力」とは、もはや態度や身ぶりではなく、侮辱、嘲弄、中傷、悪口、悪意のほのめかしなど、主に言葉による冷たい暴力です。といっても、ひとつひとつの言葉をとってみれば、それほど暴力的であるとは言えません。しかし、そういった言葉が繰り返し言われることで、ひとつの暴力を形づくっていくのです。この言葉による暴力はいつまでも続き、決して終わることがありません。

この段階まで来ると、加害者と被害者はお互いに相手を避けあうようになります。憎んでいる相手を見ると、加害者のほうは冷たい怒りがわいてきます。被害者のほうは自分に暴力をふるう相手を見ると恐怖を感じるのです。
しかし、そのいっぽうで、加害者は一度つかまえた獲物は決して放そうとしません。この暴力の過程は一度始まってしまうと、加害者はますます攻撃的で暴力的になっていき、被害者のほうは憔悴して無力になっていきます。
加害者の攻撃により、被害者の多くは「抑うつ」状態におちいります。攻撃に気を取られ仕事の能率も悪くなります。「仕事ができない」とレッテルを貼られた被害者は、雇用者から能力の欠如や仕事上の失敗を理由にして解雇されます。


モラハラを治せるのは本人の自覚と努力だけ


加害者が被害者に対するモラハラをやめないのは、そのほうが楽ができるし、得だからです。自分の言いなりになる人間をしたがえていると、えらくなった気分が味わえます。自分が特別すぐれた人間であると感じることができます。このような「うまみ」が暴力にはあるのです。

加害者が謝るときもあります。その際には必ず、「お前があんなことをしなければ(言わなければ)、自分もあんなことをしなかった(言わなかった)んだ」と、被害者に責任の一端を押しつけることを忘れません。それだからこそ、被害者は自分が悪いから怒らせたのだと思い、自分を責めるようにもなるのです。謝ったように見えても、加害者の話をよく聞いてみれば、自分に都合のいい言い訳を並べたてているだけ。被害者を本当に思いやるどころか、自分の都合を主張しているだけです。

加害者は、「せっかく手に入れた利権を手放すなんてバカげている」と考えています。苦痛を感じている被害者には暴力をやめてほしい切実な理由がありますが、加害者には暴力をやめる理由がありません。暴力にはうまみがあり、「暴力をやめてほしい」といううったえを聞き入れると損だと考えています。
そんな加害者がモラハラをやめることがあるとしたら、それは本人の強い自覚とすさまじいほどの努力によってしかありえません。自分のしていることが「相手を傷つけ続けてきた」と理解し、身にしみついている考え方、行動様式、認知といったものすべてを見直していかねばなりません。

加害者は自分のかかえる問題から目をそらし、そばにいる誰かの荒さがしに時間と心をついやしてきました。他者否定の構えです。加害者は他人の欠点をけなすのではなく、自分自身の欠点に向きあう苦痛を体験しなければなりません。これまで逃げて逃げて逃げ回ることで回避してきた苦痛です。加害者は己の内面と向き合い、反省し、葛藤する必要があります。

モラハラという暴力をふるう生き方をなおさないまま生きてきた加害者を変えることは誰にもできません。加害者を変えることができるのは、加害者本人の強い意志だけです。


被害者もモラハラの支配から抜け出せない


被害者は、自分の人間性を非難され「ダメ人間」のレッテルを貼られる。加害者はさらに巧みに「非難されるのはおまえに非があるせいだ」と思わせる。そのため、被害者はその言葉を素直に受け入れ、自己を否定してしまいやすい心理状態となる。

しかし、被害者が自己を責めつづけるかぎり問題は他人に気づかれにくく、加害者の支配からもなかなか抜け出すことが出来ない。しかも、加害者は「ダメなおまえを受け入れられるのは、私しかいない」と自分を唯一の理解者であるかのように思わせる傾向もある。そして、支配から逃れようとすると「おまえのために自分を犠牲にしてきた私から離れようとするなんて、最低な人間だ」などと、罪悪感を植えつけようとさえする。

被害者が素直な人であればあるほど、巧みな言葉に惑わされ、自ら犠牲的立場をとり続けてしまうこともあるのだ。つまり、加害者が自己満足を続けたいがために言葉で操っていることに、被害者自身気づかないということである。
http://www.eonet.ne.jp/~kina/sandbeige/morahara.html
怒りを感じない被害者
だが、不思議なことに、こうして相手の暴力に気づいた被害者が別れることを決心しても、怒りを感じたり、相手に反抗したりすることはめったにない。本当なら怒りを感じることで初めて相手から自由になれるのだが、被害者はいまの相手のやり方が不当だと認識しても、正面から反抗することはできないのだ。怒りはもう少しあとの段階でわいてくる。だが、その段階でも、無意識に抑えられているため、それほど強い怒りではない。本当に怒りを感じて相手から自由になるためには、加害者の支配から完全に抜けださなければならないのだ。

また、これまで相手に操られていたのだと気づくと、被害者はまず騙されたと感じる。ちょうど詐欺の被害にあった時のようなものだ。騙されて、馬鹿にされ、利用されたと感じるのだ。そうして、しばらくしてから、自分は被害者であり、相手に弄ばれたのだと理解する。すると、自分が駄目な人間のように感じて、相手の思いどおりに行動してきたことを恥ずかしく思う。「もっと早くきちんとした対応をすべきだった。どうしてこんなことに気がつかなかったのだろう?」そう考えるのだ。
なにしろ、相手のためによかれと思って尽くしたことで、かえって暴力をふるわれることになってしまったのだ。恥の意識はそういったところか

そうなると、被害者のなかには加害者に対して復讐したいと思う者も出てくる。だが、それよりは相手に自分のアイデンティティーを認めさせ、失われた権利を取り戻そうとすることのほうが多い。その結果、被害者はまず相手に謝罪を期待する。だがもちろん加害者は謝ってはくれない。そのかわりに、かなりあとになって、モラル・ハラスメントに加担していたまわりの人から謝罪の言葉を受けることはある。だが、それだけでも被害者はずいぶん救われた気持ちになる。

モラハラ対策と被害者の回復


モラル・ハラスメントの加害者と関わってしまったら、その経験から得るところは何もない。被害者がまず最初にしなければならないことは、相手に寛容になりたいという自分の理想を捨て、自分が愛している(あるいは、かつて愛した)相手は性格的に障害を持った危険な人物だと認識して、何があっても自分の身を守らなければならないと考えをあらためる必要がある。被害者は加害者の支配から抜けださないかぎり、身を守ることはできない。また、加害者にどんな感情を抱いていたとしても、加害者が自分にとって危険で、悪意のある存在だと認める必要がある。
相手のやり方をよく知って、攻撃から身をかわすことは大切です。加害者から非難された時に、弁明をする必要もありません。泥沼にはまるだけです。いちばんいいのは黙っていることです。大切なのは相手の挑発に乗らないことです。相手の「言葉の裏にひそむ攻撃」には無関心を装い、微笑みを浮かべてユーモアのある答えをします。しかし、決して皮肉な調子にはならないこと…。被害者にはそう助言したい。いつも冷静さを保って、相手の攻撃の罠にはまらないことが大切なのです。言いたいことは言わせておけばよいのです。自分のほうは決して苛立たず、身を守る準備として、何を言われたか書きとめておくのです。

モラハラの被害者は相手を理解しようとすると同時に、「相手を見て」もいます。また、被害者は非常に明晰な頭脳の持主なので、加害者の弱みや欠点を知ることができます。したがって、少し距離を置いて考えてみることさえできれば、「悪いのは相手のほうだ」とわかった時、相手に対して自分を閉ざすことができます。大切なのは自分が置かれている状況をはっきりと認識することです。それができれば、「私が優れていようといまいと、相手から憎しみを受けるいわれはない」そう考えることができるようになるのです。

しかし、被害者が事態をきちんと理解しはじめると、加害者にとって被害者は危険な存在になりはじめます。そうなったら、加害者は被害者を恐怖によって黙らせようとします。モラハラの状況から逃れようと思ったら、一番いいのは相手との接触を断つことです。

加害者の支配から自由になった被害者はそれまでとはちがった人間になります。それはもちろん、モラハラという辛い体験から貴重な教訓を学んだからです。実際、被害者は自分の独立を守ることを学びます。また、言葉の暴力から身をかわすことを学び、誇りを傷つけられるのを拒否することを学びます。



2012/02/15 | Comment (4) | Trackback (0) | Edit |
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「モラル・ハラスメント」へのコメント


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 |  No.833


初めまして。ミリーと申します。
全文を読んで、とても共感しました。
私は主人と別れて12年になります。まったく同じ状態でした。
加害者の気持ちをそこまで理解してくださる方がいる事にびっくりです。
私が離婚した事が、間違いではなかったと実感しました。
今の生活は楽ではありませんが、精神的にはとても楽になりました。
ありがとうございました。
ミリー |  No.1095


離婚した数カ月後に自分の経験がモラルハラスメントだったと気づいた者です。
でもときどき、今の生活の苦しさに、離婚の決断は正しかったのか、心がぐらつくのです。
そんなとき、ブックマークしてあるこの記事を読みにきては、あのまま居たらもっとひどくなっていたのだ、これで良かったんだ、と確かめています。
書いてくださってありがとうございます。
saw |  No.1105

真っ只中
今モラハラにあっていますが、相手が病気だと認識してからは少し気が楽になりました。
あと少し、無関心で乗り切ります!
たらこ |  No.1452

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