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見捨てられ不安と基本的不信感

 [ 関連用語
基本的不安(カレン・ホーナイ)
自分は世界で孤立している、他人は敵であり、それに対抗するには自分は無力である、無力な自分は、世界全体という敵に脅かされ、味方はいない、という感覚。

対人感情
他人は、気まぐれで、偽善的で、横暴な、得体の知れない、全く共感の余地のない異形の存在

原初的怒り
本来は自分を愛すべきであった親がそうしなかったという怒り

原初的絶望感
「自分は愛されるに値しない人間だ」という絶望感

見捨てられ不安
自分が依存している相手に嫌われて捨てられてしまうという不安や恐怖。
寂しさ、不安感、抑うつ、怒り、空虚感、絶望感、孤立感、などの感情を引き起こします。
他人に必死でしがみつく場合もあれば、捨てられることが怖くて自分から手放してしまう場合もあります。

どうなると子供に基本的不安が生まれてしまうのか。
これは実に多様であり、支配的、過保護、威嚇的、怒りっぽい、厳しすぎる、甘やかしすぎる、一貫性がない、他の兄弟をえこひいきする、偽善的、無関心、などさまざまです。
ホーナイの言葉では、それらのうちどれがあったから問題ということではなく、それらの態度全体の相互作用の結果として子供に悪影響が出るということになります。

結局の所、親自身の側に、これから説明する心理障害感情があるため、子供を一個の独立した個人として愛することができないという状況が基本的不安を生み出す原因となります。つまり子供が自分自身の目で、自分を、そして世界を見ることを許さない、そうしようとした時に子供の心理的安全が脅かされるという状況があるように思われます。

また子供の側の心理状況は、「納得できない形で自分を駄目な存在と断じられた」ようなものと言うのが私の考えです。いわれなき罪の審判を受けた人間の心理がそこにはあると思います。
罪を下した人間への怒り、いや彼らは正しく自分はその通りの駄目な人間なのだ、という思い..
複雑な感情です。



見捨てられ不安


他人が自分の機嫌をとってくれなければ気がすまない人は、おそらく、子供のころ、親の気に入る行動をとらなければ自分は見捨てられるという恐怖に怯えていたのではないでしょうか。そして大人になってからも、他人に愛されるためには相手の機嫌をとらなければならないと思い込んでしまっているのでしょう。

だから、他人にも同じように「私に愛されたければ、私の機嫌をとりなさい」と要求し、相手が従おうとしなければ、ひどい屈辱を感じ、「機嫌をとらないのであれば、あなたを見捨てるぞ」という、まさに自分が子供のころにもっとも怖れていた言葉を突きつけて脅そうとするのです。

愛することと許すこと
他人の優しさや好意に対して、素直に感謝できない、という人がいます。
他人の好意を拒絶する人は、また一方では、無意識のうちに安心を感じています。先に自分から相手を拒絶しておけば、「見捨てられる不安」に怯えなくてもすむからです。

自分に自信のない人は、他人から優しくされても、それに感謝し、喜ぶことが「怖い」のです。
相手は、今は優しくしてくれていても、いつかは裏切り、自分を見捨てるだろう、という不安をつねに抱えてしまっています。
見捨てられたときのショックを想像すれば、「優しくされていい気になっていた自分」が惨めに感じられると思い、現在を素直に喜ぶことができないのです。

恋人が浮気をしていないかを心配し、行動を監視したり、メールを盗み読んだりしてしまう人は、裏切られることを怖れながら、また一方では、恋人が「隠れて浮気をするような卑怯な人間」であることを密かに期待しています。
浮気をされたのであれば、恋人との関係が破綻しても、自分に愛される価値がなかったわけではなく、「相手が卑怯な人だった」という言い訳ができ、自分は「裏切られたかわいそうな被害者」でいられるからです。

そういう人がもっとも怖れていることは、浮気をされることよりも、「ほかに好きな人ができたわけではないけれど、あなたが嫌いになった」という決定的な審判を下されることなのです。
「いい人に嫌われる」ということは耐えがたいショックなので、何とかして相手を卑怯な悪者に仕立て上げようとしてしまうのです。

「見捨てられる不安」に怯えていては、いつまでたっても他人と健全な関係を結ぶことはできません。
実際に見捨てられることがあるのだから、不安を感じるのは仕方がない、と考えてはいけません。不安に怯えてばかりいるから、本当に見捨てられてしまうのです。「不安に怯えようが、怯えまいが、なるようにしかならない」という開き直りが必要です。

自分が拒絶されたくなければ、やはり自分も相手を拒絶してはいけません。
ただし、付き合う相手を選ぶということも重要です。自分を見くだしたり、傷つけたりするような人とまで、無理をして付き合う必要はありません。

見捨てられる不安を捨てる
見捨てられ不安は、他人のマイナス感情に敏感で、少しでも否定的なことを言われたりすると絶望感でいっぱいになります。信頼している人との間に少しでも距離が出来ると、見捨てられる不安が高まり、いてもたってもいられなくなります。

見捨てられ不安は子ども時代の癖です。乳幼児期に、親や家庭が常に感情的だったり、暴力的だったり、「十分に受け止められた」「無条件に愛された」「安心感を与えてもらえた」という実感を持てなかった人に多く見られます。
乳幼児期に安心感を築けなかったため、自分という存在を無価値だと思ってしまい、自分は無価値だという信念を持って育ちます。(自分は愛されない等)

そして、見捨てられることへの不安を常に感じながら、自分は無価値だという信念が(自分にとって)正しいことを証明しようしていきます。自分は無価値だということを信じ、それを実現していくのです。(この作業は、本人は無自覚です)

日常生活で、無自覚に嫌われる行動を取ったり、嫌われる言葉を言ったりして相手に嫌われ、見捨てられることで「やっぱり自分は嫌われる」「自分には価値がない」という感情を抱き、自分は無価値だという信念を確信します。

言葉配達人あきの公式ホームページ



幼少期の見捨てられ不安


実は、前節で何度もお話しした幼児期の不幸な体験も、生命の危機的状況だと考えられるのです。
たとえば幼少の頃、自分の失敗によって、大切な人に嫌われてしまったという経験について考えてみましょう。

幼少の頃というのは、誰でも自分だけで生きていくことはできません。親などの保護者がどうしても必要になります。
その保護者の愛情を得ることは、生存にとって有利な状態です。
逆に嫌われるというのは、生存にとって不利な状態です。

親の愛情を得ようと一生懸命やったことで、親から失望され嘲笑されれば、大脳辺縁系は、親に見捨てられたと受け取るでしょう。
動物では、親に見捨てられたり、親とはぐれたりすることは、ほとんどの場合死を意味します。
http://iyashi.find21.net/psystory/psect12b.html


家庭でも同様で、自分を愛してくれない親に不満/憎しみを感じつつも、見捨てられたらどうしようかと恐怖心が芽生える。そこで嫌いな親でも、取り入れれば生存の保障を得るのでは?と「取引」を試みる。親が気に入る「良い子」を演じるのだ。

親の期待に応えようとするのはどんな子供にも見られるが、家庭内ストックホルム・シンドロームは生活保障を求めた取引だから、子に多大なストレスを与えることになる。
さらにダメ父さんが「誰のおかげでメシが食える!」なんて言おうものなら最悪だ。
http://woman.mynavi.jp/article/130525-024/

2011/05/18 | Comment (0) | Trackback (0) | Edit |
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