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共依存関係

 [ 関連用語
他者に必要とされることで、自分の存在意義を見い出すこと


共依存の特徴


○自尊心や自己愛が少なく、自己の確立ができていない。
○感情の適切な表現ができず、他人とのコミュニケーションが難しい。
○自らを犠牲にして相手を助けたり、世話をしたりする。
○相手の行動や考え方、状況や結果を変えようとコントロールする。
○依存心が強く、一人でやっていけるという自信がない。
○考え方や視野がせまい。
○相手と自分との境界線がはっきりしていない。
○物事を極端にとらえ、白黒主義になりバランスが取れない。
○過去の間違いから学べず、繰り返す
○愛情としがみつきを取り違える。
○相手に問題があるのは自分が悪いからだと思い込む。
○自分の人生の目的や自分がどうあるべきかがはっきりしていなく、
 相手に幸せにしてもらいたいと思っている。  など


共依存とは
共依存を一言でいえば、「他者に必要とされることで、自分の存在意義を見い出すこと」となる。共依存の特徴をよく表現している文章を以下に引用する。

共依存者とは、自己自身に対する過小評価のために、他者に認められることによってしか満足を得られず、そのために他者の好意を得ようとして自己犠牲的な献身を強迫的に行なう傾向のある人のことであり、またその献身は結局のところ、他者の好意を(ひいては他者自身を)コントロールしようという動機に結び付いているために、結果としてその行動が自己中心的、策略的なものになり、しだいにその他者との関係性から離脱できなくなるのである。(加藤篤志)

つまり、自分の内面が空虚で他者の評価を必要とするだけでなく、他者の評価を獲得するために他者を道具として利用する人たちのことをいう。一般的傾向としては、他人の世話を焼きたがる割には、他人に対して不誠実で策謀的な点があげられる。
共依存の特徴には、自己犠牲的な相手への献身があります。これは、一見すると純粋な利他心から出ているような印象を与えますが、その根底には、相手を支配しようとする自己中心的な他者操作が潜んでいます。相手を放っておけないということは、「コントロールせずにはいられない」ということなのです。この「他者をコントロールしたいという欲求」の存在こそが、共依存の本質といえます。

困っている人を見ると、放ってはおけなくて、すぐにでも駆けつける。相手の行き詰まっている問題に対して、意見したり、忠告したり、何かしてあげられることがあることに、わくわくする。相手の悩みが解決されると、内心がっかりする。こうした行為に対して、相手からの感謝が足りないと、怒りを覚える。

共依存者とは、必要とされるを必要とする人です。内心には、自己自身に対する評価の低さがあります。そのために、他者に認められることによって、自己の価値を確認しようと、脅迫的に確かめる行為を行なうのです。(他者は、自分に評価を与えてくれる道具として存在しているに過ぎない。)

したがって、その献身は結局のところ、他者の好意、あるいは他者自身をコントロールしようという動機に結び付いているために、おのずとその行動は自己中心的、策略的なものになり、自己賛美のための同情でしかないことを相手に見抜かれ、期待していた賛美が得られないこともあります。相手の不幸を肥やしにして、自らを輝かせようとする醜悪な姿を、相手に見せ付けてしまうのです。
自分をたいせつにする心理学 共依存の本質


対人依存のしくみ


怖いのは、対人依存から「共依存」に転じてしまう可能性があるということです。
世話をすることで安心を得ようとする「世話型依存」の人と、
人から世話をされることで安心するタイプの人とが出会うと、
お互いにもたれ合って一緒に堕ちていく
「共依存」の状態に陥る可能性があります。

お互いに気持ちの良い状態を築けるわけですから、
離れたくても離れられないという関係に…。
逃げようという強い意思があれば容易に逃げられるのに
その場を動こうとしない、緩い首輪につながれた犬。
対人依存は、ちょうどそんな状態なのです。
対人依存のしくみ


優しく世話をし、自立心を奪い支配下に置く


機能不全家庭で育ったためにガードが高く防衛心が強く、その結果とてもさびしい彼らは、孤独から逃れるために、自分をおびやかさない相手を見つけると、その相手にしがみつきます。それは自分より弱い人であったり、自分に頼ってきたり、自分の世話を必要とする人です。そういう相手を、自分から離れられなくなるようにコントロールしていきます。

相手にベタベタとまとわりつき、サービスしたり、世話をしたりつくしたりして、一見「親密」な関係をつくろうとします。けれども、それは本当の親密さや本当の愛情ではなく、自分のそばから離れないペットに仕立てあげようという「支配欲」なのです。本人が子供時代に「お前のためを思って」という言葉で心に侵入され、そういう関係が「愛情」だと思っていますから、「あなたが好きだから」「キミのためを思って」という言葉で相手を支配しコントロールし束縛します。

相手がいつも自分のコントロール下にいないと不安だという人は、結局、その嫉妬心と束縛で、生き生きとした相手の感情を殺してしまいます。

支配しコントロールするほうは、それが愛だと思っています。支配されるほうもそれを愛情だとかんちがいするところから、次の支配がくり返されます。それは愛情ではなかったと認めるところから、マインドコントロールを解く作業が始まります。

「インナーマザー」 斎藤学
共依存者のやっていることは、相手のためにと言いながら、自分の思いどおりに相手を操作することです。本当は自分に依存する他者の欲求などどうでもいいのです。自分の欲求充足こそ先決なのです。

自己犠牲に見せかけた対象支配の快楽とは、相手は自分の手のひらの上で生きているだけであり、その気になれば握りつぶすことも可能な存在であるという、「自分が偉い人間になった」という気分です。共依存は依存ではなく、ケアや愛情という美名の陰に隠れた支配です。

共依存者は相手を無力化させ依存する存在として飼うことで支配します。私を離れては生きていけないのよとつぶやくことで支配します。世話を焼き、半人前扱いすることで相手から価値の収奪(貶め、自信を喪失させる)を行います。環境整備型権力ともいうべき支配により、相手がすすんで無力化し自信を喪失していくように関係を仕組んでいくのです。

共依存者には、相手のエネルギーを自分より低い状態にとどめておくことでパワーを獲得しているなどという自覚はありません。むしろ正反対の、どうしようもない人間を見捨てないで援助し続ける自分は、やさしく正しく思いやりに満ちた存在であると自己認知しているに違いありません。

パターナリズム
コントロールしたがる者の多くは自分が必要とされなくなることを恐れているため、子供の心の中に非力感を植え付け、それが永久に消えないようにと望みます。表面的に見れば、それは子供を自分に依存したままにさせておこうとする行為ですが、実は自分が子供に依存していることの裏返しなのです。
「お前のためを思って…」と言い、相手を自分のいいなりにしようとする人がいます。「お前のため」と恩を着せつつ説教や指図をするのが大好きな人がいます。

私たちのこころのなかには、「他人を助けてあげられるような人物になりたい」という救世主願望があります。自分が役に立つ有能な存在であることを確認したい。そのためには、相手を無能にして、いつまでも依存させて、自分を必要とさせておく。そうして「つねに援助者でありつづけたい」と願うわけです。

その人のやっていることは、自分の劣等感から出た行動でしかありません。劣等感が強いから、自分の力を相手に誇示したにすぎません。

メサイア・コンプレックスを持つ劣等感の強い人は、相手をほっておけません。自律心ができて、はじめて、相手をほっておけるようになります。劣等感の基礎は依存心です。自分一人で立っていられないからこそ相手を必要とします。しかも、その相手に対して自分はより偉い立場にいなければなりません。愛情からではなく、自分の力を誇示するために親切をしているという自覚が本人にはありません。依存心が強くて欲求不満な人間であればあるほど、自分の親切を純粋なものと思いこんでいます。

メサイア・コンプレックスの強い人は、相手にからみつきます。不良が因縁をつけるように強引に干渉してきます。そして思い通りにならないと相手に憎しみを持ちます。

愛情のある人が持つ気持ちに「人を喜ばしたい」というものがあります。同じ気持ちを、最も卑怯な人間も自己確認の手段として最後に頼ることがあります。その場合必ずその後心の底で相手に感謝を要求します。愛情から”人を喜ばした”人は相手に感謝を求めません。相手が喜んでいる姿を見て、ただ「ああよかったー」と感じて幸せになるだけです。卑怯な人は自分の無価値感を克服するために人を利用しているのです。感謝されることで自己重要感が味わえるからです。

自己中心的な人は自分が「独善的に」「誠意」をつくせば相手も自分に誠意をつくすのが当たり前と感じています。そして自分の期待した反応がないと「自分がこんなにしているのに」と相手に不満を持ちます。「私がこんなにしているのに」と不満を持ちますが、周囲の人に言わせれば「お前にしてくれとは頼んでいない」ということです。

「自分は親切な人間である」と証明する



「相手の人生は私がいなければ成り立たない」という誇大妄想


無力感や劣等感に苦しむ男性が、求めるものは“頼られる”ことです。頼られることによって、その人は無力感や劣等感から解放されます。それに何よりも相手から感謝を期待できます。無力感に悩む者にとって、他人からの感謝ほどうれしいものはありません。「自分がいなければあいつはまだダメだ」と思うことは、気持ちの安定をその人にもたらします。
自分に自信がない人間は相手になにかをしてやり、相手からも感謝されることで自分の存在を確認しようとします。そのうえさらに相手に感謝を要求します。

他人の賞賛によって、自らを支えようとする人は依存的です。彼らは、人に干渉することを親切とか愛情とか思いやりなどいろいろの言葉を使って正当化します。他人に大変な関心を持っているような顔をしていますが、相手を一人の人格者として尊重しないという本質的な意味で無関心であり、自らの欲求充足の手段としてしか他人を見なしていない例が多いのです。
不幸な人を見ると喜んで世話をします。しかし相手が幸福になることを決して許しません。その人は不幸な人を世話することで、自分の無価値感を克服しようとしているからです。相手が不幸であるからこそ自分の支配欲が満たされ、自分の優位が確立されます。搾取的な構えの人は、不幸な人が幸せになろうとすると妨害します。

彼らの一時的な親切は、「少しでも『自分の方がましだ』と思える立場にいたい」という動機にもとづいています。だから不幸な人間は格好の餌食になります。なぜなら、自分より不幸な人間がいて、自分をはげましてくれる不幸な話を聞かせてもらえるからです。自分より不幸な人間を見ていることでプライドが癒されるのです。



共依存チェック


共依存チェック


2011/05/18 | Comment (0) | Trackback (0) | Edit |
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自我と自己、アイデンティティとパーソナリティの違い

 [ 関連用語
自我=自分が考える「自分」=アイデンティティ(自我同一性、個性、自分らしさ)
自己=他人を通しての「自分」=パーソナリティ(人格)

自己愛性人格障害者が自己愛獲得のために必死になるのは自我が脆弱なため。


自己・パーソナリティとは


自己を語る時は「パーソナリティ(人格)」という言葉が使われます。
パーソナリティは「他人から見た自分らしさ」です。
例えば、自分は女だけど「男っぽい」と、周囲(他人)から言われたとします。
自分の中(自我)では「自分は女だ」と思っていても、周囲の目を通す(自己)だと「男っぽい」のです。
あくまで他人との交流からの自分視点を重視するのがパーソナリティです。

「自我」と「自己」の違いとは?(アイデンティティとパーソナリティの違い)



自我・アイデンティティとは


自我を語る時は、よく「アイデンティティ(自我同一性)」という言葉が使われます。
アイデンティティは「自分視点の自分定義集」です。
人は14歳頃から40歳頃までの「青年期」の間に「自分は何者であり、何をなすべきか」を考えながら、イメージの自分と同一にしていきます。
自我同一性
自分が自分として確立していること

例えば子どもの頃、「昨日はこう思ってたのに、今日は違う。」ってことがありましたよね?
まわりの大人の意見や環境によってすぐに影響されて、変化してしまう。それは、自分というものが、きちんと確立できていないからとも考えられますよね。人間の、成長過程のひとつですね。

>>人が時や場面を越えて一個の人格として存在
つまり、時間が異なっても、場面(環境)が異なっても、同じ意見を持っていたり、同じ行動を取ることができる人間である、ということ。そういうものに左右されないということ。なんではないでしょうか?

自我同一性って?? | 心理学のQ&A
アイデンティティとは
「自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。主体性。自己同一性。「―の喪失」」(『大辞林』)

言い換えると、「"私はこういう人間です"と本人自身が捉えていて、一貫しようとしている"その人らしさ"」ということだと思います。例えば、「きちんと仕事をやるのが私らしい」というアイデンティティがあるから、周囲はその人を継続して信頼できるし仕事を任せられるわけです。逆に言えば、アイデンティティがない人は不安定で、周囲の人はなかなか信頼できないことになります。

発達心理学的に言えば、このアイデンティティを確立するのは思春期後期と呼ばれる時期で、いわゆる高校生の時期に当たります。ただしこれは、ある程度安定した自己愛があってこそ取り組めます。自己愛が不安定なままだと、本当の自分の姿と真正面から向き合う作業はとても苦しく、死にたくなることもまれではなくなります。結局のところ、それまでの人生(といっても10数年ですが)の中でいかに安定した自己愛を持てているかにより、アイデンティティの確立に取り組めるかどうかが決まってくるように思います。

つまり、自分自身へのこだわりやどのように見られているかの不安が強い中では、周りから信頼されるアイデンティティの確立は難しく、ともすれば「みんなからほめられる、否定されない、という"アイデンティティ"」になってしまいます。でも、誰に対してもほめられようとしてしまえば本人の一貫性はなくなり、コロコロ変わる不安定な人格になってしまいますよね。

昔から若者には「芸能人になりたい」「テレビに出たい」という気持ちを持つ人が多いですよね。そして、その背景にあるのは「私が納得できる仕事がしたい」という気持ちではなく、「注目されたい、目立ちたい」という気持ちでしょう。「私が納得できる仕事がしたい」という気持ちを「アイデンティティの追求」とすれば、「注目されたい、目立ちたい」は「自己愛の充足」に当たるでしょう。

心と社会: 自己愛とアイデンティティ



2011/05/18 | Comment (0) | Trackback (0) | Edit |
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自尊心とは 基本的安心感 健全な自己愛

 [ 関連用語

自尊心とは


自分の存在自体を自身で愛おしいと思え、
自身を本当の意味できちんと大切にできる感覚のこと。

自尊心が高い人は、自己評価でき、自信と安定感がある。
何ができるから自信がある、ということではなく、
自分の存在自体・ありのままの自分自身・自分の長所欠点得意不得意全てを含め、
自分そのものを絶対的に肯定できる礎を持つ。

たとえ良い他者評価が得られなくて傷付くことがあっても、
欠点があらわになるような出来事があって落ち込んでも、
人から大切に扱われないことがあっても、
それを受け入れ、感情をコントロールし、そこから学び反省し、自身が取り組むべきことを見つけ、
逃げることなく行動することができ、努力を避けずに邁進する力があります。

また、ありのままの自己を尊重できる人は、ありのままの他者をも尊重することができ、
望ましい人間関係や距離感を築くことができるのです。
自尊心と自己愛の違い


基本的信頼


基本的信頼とはどういうものか。この世には、あなたが失敗しても、決してあなたに失望しない人がいる。あなたの成功失敗に関係なく、あなた自身を受け入れてくれる人がいる。あなたがその人に抱く感情、それが基本的信頼である。それはたいていは母親であるが、この基本的信頼がある恋人同士ではより強固な関係が構築される

基本的信頼を生み出す三つの要素
ひとつは、自分が無能であっても受け入れてもらえる。ひとつは、相手の期待を実現できなくても受け入れてもらえる。ひとつは、相手と違っても受け入れてもらえる


安心感、誇り、だいじょうぶ感覚


自信とか健全な誇りとか、「自分が周りの人から好かれている」とか「自分は生きている価値がある」とか、「自分と同じように他人も信頼できる」という意識をしっかり持つことができることは、人生を送る上で大変重要なことです。安心感は両親から子供に与える最大の贈り物であるといってもよいでしょう。

この安心感についてはこれまでさまざまな精神科医や心理学者から「基本的信頼感」「安全保障感」などと記載されてきましたが、もしこの感覚がなければ、あるいは乏しければ、自分自身や周囲を信じることができず、安定した対人関係を作ることができなくなります。そして、危機やストレスに対しても脆くなります。


自己肯定感が高い人の共通条件


幼少期に根付いた自己肯定感は社会的な評価では揺らいだとしても、決して奪われない。逆に言えば、社会的な評価をいくら得ようとも脆弱な自己肯定感を強化する材料にはならない。

小さな時(社会的な評価を受ける前の時期)に、愛(ここでは肯定・共感とする)を与えてもらえたならば、社会的な評価を栄養にしなくても自分自身を愛する力は揺るがない

 ”自己肯定感”というのは、本人の考え方のように思われがちだけれど、それを得るためには、本人の努力だけではなく、周囲の力が必要不可欠なのです。

「自分はありのままの自分でいいんだ」「自分はこのままで十分、お母さんやお父さんから愛される存在なんだ」という気持ちを持たせてあげることで、子どもは自分のプライドを守るための嘘をつかなくなります。


基本的信頼


アメリカの精神分析医であるエリク・エリクソンは「基本的信頼(basic trust)」という概念を理論化しました。

この基本的信頼は、人が赤ん坊の頃からよちよち歩きをするようになるまで、「受け入れてもらえている」「尊重されている」などの、「僕はだいじょうぶだ」という感覚を感じることによって育まれてゆきます。
おしめの取り換えや空腹の解消など、母親に欲求を満たされ、無条件に受け入れられるという体験を通じて、子どもは自己の内部に基本的安心感を育んでゆきます。
そうして母親への「信頼」の感情を持つことで、それに比例して自己を信頼できるようになっていきます。
母親への信頼感が強い子どもは、出会う人に対する信頼感も大きいのです。
そのような依存体験を通じて、安心感を深め、子は親から離れ外の世界に冒険に出かけるようになるのです。
「失敗しても戻る場所がある」と感じられることによって、子どもは強くなります。
そうして子どもは社会という大海に子どもなりに漕ぎ出してゆくのです。
傷つくことを怖れずに、自己を信頼し、発達段階に合わせた彼らなりの社会を歩んでいけるということです。
パーソナリティ障害者はもれなくこの「基本的信頼」の確立に躓いているともいえます。


近年、日本人の多くは
自分の子どもに「根拠のある自信」ばかりを育てようとしています。
何かといえば競争です。特技です。

しかし、ここには問題がある。
比較で獲得した肯定感は比較で負けたときに下がる、ということ。

根拠の無い自信が育てられていると
「~さんはかけっこが早いな」「~君は勉強が出来るなあ」と
子どもも心に思うことがあっても、劣等感にはならない。

根拠の無い自信というのは
自分に対して根拠なく自身を抱くことが出来るということです。
そして、それ以前に「人を信じる力」があるということです。

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見捨てられ不安と基本的不信感

 [ 関連用語
基本的不安(カレン・ホーナイ)
自分は世界で孤立している、他人は敵であり、それに対抗するには自分は無力である、無力な自分は、世界全体という敵に脅かされ、味方はいない、という感覚。

対人感情
他人は、気まぐれで、偽善的で、横暴な、得体の知れない、全く共感の余地のない異形の存在

原初的怒り
本来は自分を愛すべきであった親がそうしなかったという怒り

原初的絶望感
「自分は愛されるに値しない人間だ」という絶望感

見捨てられ不安
自分が依存している相手に嫌われて捨てられてしまうという不安や恐怖。
寂しさ、不安感、抑うつ、怒り、空虚感、絶望感、孤立感、などの感情を引き起こします。
他人に必死でしがみつく場合もあれば、捨てられることが怖くて自分から手放してしまう場合もあります。

どうなると子供に基本的不安が生まれてしまうのか。
これは実に多様であり、支配的、過保護、威嚇的、怒りっぽい、厳しすぎる、甘やかしすぎる、一貫性がない、他の兄弟をえこひいきする、偽善的、無関心、などさまざまです。
ホーナイの言葉では、それらのうちどれがあったから問題ということではなく、それらの態度全体の相互作用の結果として子供に悪影響が出るということになります。

結局の所、親自身の側に、これから説明する心理障害感情があるため、子供を一個の独立した個人として愛することができないという状況が基本的不安を生み出す原因となります。つまり子供が自分自身の目で、自分を、そして世界を見ることを許さない、そうしようとした時に子供の心理的安全が脅かされるという状況があるように思われます。

また子供の側の心理状況は、「納得できない形で自分を駄目な存在と断じられた」ようなものと言うのが私の考えです。いわれなき罪の審判を受けた人間の心理がそこにはあると思います。
罪を下した人間への怒り、いや彼らは正しく自分はその通りの駄目な人間なのだ、という思い..
複雑な感情です。



見捨てられ不安


他人が自分の機嫌をとってくれなければ気がすまない人は、おそらく、子供のころ、親の気に入る行動をとらなければ自分は見捨てられるという恐怖に怯えていたのではないでしょうか。そして大人になってからも、他人に愛されるためには相手の機嫌をとらなければならないと思い込んでしまっているのでしょう。

だから、他人にも同じように「私に愛されたければ、私の機嫌をとりなさい」と要求し、相手が従おうとしなければ、ひどい屈辱を感じ、「機嫌をとらないのであれば、あなたを見捨てるぞ」という、まさに自分が子供のころにもっとも怖れていた言葉を突きつけて脅そうとするのです。

愛することと許すこと
他人の優しさや好意に対して、素直に感謝できない、という人がいます。
他人の好意を拒絶する人は、また一方では、無意識のうちに安心を感じています。先に自分から相手を拒絶しておけば、「見捨てられる不安」に怯えなくてもすむからです。

自分に自信のない人は、他人から優しくされても、それに感謝し、喜ぶことが「怖い」のです。
相手は、今は優しくしてくれていても、いつかは裏切り、自分を見捨てるだろう、という不安をつねに抱えてしまっています。
見捨てられたときのショックを想像すれば、「優しくされていい気になっていた自分」が惨めに感じられると思い、現在を素直に喜ぶことができないのです。

恋人が浮気をしていないかを心配し、行動を監視したり、メールを盗み読んだりしてしまう人は、裏切られることを怖れながら、また一方では、恋人が「隠れて浮気をするような卑怯な人間」であることを密かに期待しています。
浮気をされたのであれば、恋人との関係が破綻しても、自分に愛される価値がなかったわけではなく、「相手が卑怯な人だった」という言い訳ができ、自分は「裏切られたかわいそうな被害者」でいられるからです。

そういう人がもっとも怖れていることは、浮気をされることよりも、「ほかに好きな人ができたわけではないけれど、あなたが嫌いになった」という決定的な審判を下されることなのです。
「いい人に嫌われる」ということは耐えがたいショックなので、何とかして相手を卑怯な悪者に仕立て上げようとしてしまうのです。

「見捨てられる不安」に怯えていては、いつまでたっても他人と健全な関係を結ぶことはできません。
実際に見捨てられることがあるのだから、不安を感じるのは仕方がない、と考えてはいけません。不安に怯えてばかりいるから、本当に見捨てられてしまうのです。「不安に怯えようが、怯えまいが、なるようにしかならない」という開き直りが必要です。

自分が拒絶されたくなければ、やはり自分も相手を拒絶してはいけません。
ただし、付き合う相手を選ぶということも重要です。自分を見くだしたり、傷つけたりするような人とまで、無理をして付き合う必要はありません。

見捨てられる不安を捨てる
見捨てられ不安は、他人のマイナス感情に敏感で、少しでも否定的なことを言われたりすると絶望感でいっぱいになります。信頼している人との間に少しでも距離が出来ると、見捨てられる不安が高まり、いてもたってもいられなくなります。

見捨てられ不安は子ども時代の癖です。乳幼児期に、親や家庭が常に感情的だったり、暴力的だったり、「十分に受け止められた」「無条件に愛された」「安心感を与えてもらえた」という実感を持てなかった人に多く見られます。
乳幼児期に安心感を築けなかったため、自分という存在を無価値だと思ってしまい、自分は無価値だという信念を持って育ちます。(自分は愛されない等)

そして、見捨てられることへの不安を常に感じながら、自分は無価値だという信念が(自分にとって)正しいことを証明しようしていきます。自分は無価値だということを信じ、それを実現していくのです。(この作業は、本人は無自覚です)

日常生活で、無自覚に嫌われる行動を取ったり、嫌われる言葉を言ったりして相手に嫌われ、見捨てられることで「やっぱり自分は嫌われる」「自分には価値がない」という感情を抱き、自分は無価値だという信念を確信します。

言葉配達人あきの公式ホームページ



幼少期の見捨てられ不安


実は、前節で何度もお話しした幼児期の不幸な体験も、生命の危機的状況だと考えられるのです。
たとえば幼少の頃、自分の失敗によって、大切な人に嫌われてしまったという経験について考えてみましょう。

幼少の頃というのは、誰でも自分だけで生きていくことはできません。親などの保護者がどうしても必要になります。
その保護者の愛情を得ることは、生存にとって有利な状態です。
逆に嫌われるというのは、生存にとって不利な状態です。

親の愛情を得ようと一生懸命やったことで、親から失望され嘲笑されれば、大脳辺縁系は、親に見捨てられたと受け取るでしょう。
動物では、親に見捨てられたり、親とはぐれたりすることは、ほとんどの場合死を意味します。
http://iyashi.find21.net/psystory/psect12b.html


家庭でも同様で、自分を愛してくれない親に不満/憎しみを感じつつも、見捨てられたらどうしようかと恐怖心が芽生える。そこで嫌いな親でも、取り入れれば生存の保障を得るのでは?と「取引」を試みる。親が気に入る「良い子」を演じるのだ。

親の期待に応えようとするのはどんな子供にも見られるが、家庭内ストックホルム・シンドロームは生活保障を求めた取引だから、子に多大なストレスを与えることになる。
さらにダメ父さんが「誰のおかげでメシが食える!」なんて言おうものなら最悪だ。
http://woman.mynavi.jp/article/130525-024/

2011/05/18 | Comment (0) | Trackback (0) | Edit |
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対象恒常性とは

 [ 関連用語
自己愛性パーソナリティ障害の原因の一つが、対象恒常性が欠如していること。

対象恒常性とは心の内面にある自分を支えてくれる安定した他者のイメージ。
(「良い」母親のイメージ)
対象(人や物)は自分が見ていない間でも同じように一定でありつづけるという感覚や信念のこと。

「対象恒常性の欠如」の問題があると目の前に好きな他者が実際にいて自分を認めて優しくしてくれない限りは、見捨てられ不安・孤独の苦痛に耐え切れなくなりやすく、相手が過去に与えてくれた愛情や承認の効果が長続きしない。
そのため相手が自分の要求や期待に背いて不安感・寂しさを感じさせるなど、関係が少しでも悪くなると短所・欠点だけしか認知できなくなり、人間関係が安定しない。


資料


見捨てられ不安は、対象恒常性に障害があるためと考えられることがあります。

対象恒常性の障害
対象恒常性とは、対象(人や物)は自分が見ていない間でも比較的一定であり続けるという感覚や信念のことです。対象恒常性が獲得されている場合は、他者は良い面と悪い面を持っていることの両方を考慮でき、例えば機嫌の悪い人に対して「あの人は普段は良い人だけれど、今日は機嫌が悪いのだな」と思うことができます。一方、対象恒常性に障害があると考えられる人は、例えば機嫌の悪い人に会うと「昨日までは良い人だったが、急に嫌な人に変わってしまった」と感じてしまいます。また、そのように変わってしまった人については、「よくわからない不気味な人」となり「敵か味方かわからない」ために、白黒をはっきりしてほしくなってしまいます。このような場合、相手と自分に対してスプリッティングということが生じていることが多く、また、白黒をつけるためにアクティング・アウトということが生じやすいです。
http://counselingroom.seesaa.net/article/166920637.html


見えていない時にも人や物(つまり対象物)は同じ状態でありつづけているはずだ(これを恒常性と言う)という思い込みのこと。パーソナリティ障害の一部では、この対象恒常性が獲得されていない。その人物の気持ちが急に変わってしまったんじゃないかという内面の変化を疑ったりする。(対象恒常性の部分的な欠如)

もし、自分が見ていない間に相手の気持ちが変わってしまったのではないかと感じてしまったとしたらどうなる?不安になるだろ。そして、変わったのか変わってないのか確認したくなるはずだ。そうして、境界性パーソナリティ障害の場合は、頻繁に自分への気持ちを相手に聞くという行為に至って、それが度を過ぎて疎ましがられたりすることになるんだな。決して、人を信用できないとか、悪気があってやってるわけじゃないんだよ。結果的にはそう見えるかもしれないけど、当人達にしたら相手が本当に同じ人間なのか自信が持てないという感じらしいぞ。こういうところから、見捨てられ不安にもつながってくるということを知っておいてやると、周囲の対応にもきっと余裕が出てくるはずだ。
http://monkeyclinic.seesaa.net/article/163931858.html


人を愛し続ける、人を信頼出来る、人に愛着を持ち続けることが出来る・・・
それらを持続し続けることが出来るということ、これを支えている心的構造に
「対象恒常性」というものがあります。

対象恒常性というものは『母』です、それも「良い母」イメージですね。

赤ちゃんの心の中に「母がいつもいる」ということ、
母が心の中に定着したということは
=安心安全が確保されたということになるのです。

母(対象)の恒常性という意味は、永遠に変わらないということ、この永遠性が
母を信じ続け⇒人を信頼し続け⇒愛し続けること、
思いが持続し続けるということになっていくのです。

それは又、母の恒常性=自分の不変性(自己同一性)に繋がっていますから、
常に自分も変わらず有り続けることができます。

人に愛着がわかない、人を信じられない、人を愛せないという人は
対象恒常性が確立できなかったということになります・・・
つまり、良い母のイメージがなかった・・・ということでもあります
http://green-terrace.jugem.jp/?eid=723


対象恒常性とは、「良い」母親のイメージが心の中に常に存在しているということです。
母親がいなくても、心の中に定着した良い母親が代わりをしてくれるので、
困難な問題に直面しても一人で対処できるようになります。
「良い」対象と関係を持つようになり、これがさらに自己の成長を助けます。
自分で自分を助けたり育てたりする能力が出来たと言えるでしょう。
この対象恒常性の確立が不充分な場合、
自分で自分を「良い」方向に導くことが出来ません。
自分で自分を見捨てたり、破滅願望を抱いたりして、
自分にとって「悪い」方向に進んだりします。
(中略)
これらの自我同一性や対象恒常性の確立の失敗の背後には、
強い見捨てられ不安が潜んでいます。
ですから、回復のためには見捨てられ不安を徹底的に洗い出して直面化し、
見捨てられ不安を解消する必要があります。
そして、もう一度この「個体化期」をやり直さなければなりません。
http://homepage1.nifty.com/eggs/topics/hattatu.html


一般に幼児は 日々 親の愛情を得ることによって、
2才半までに 自分がいる世界に 信頼感を発達させます。
「対象恒常性」 といって、自分の中に 安全で心地よいイメージを描き、
ストレスがあっても そのイメージによって 和らげることができます。
赤ん坊は最初、母親が見えないと 不安で泣きだしますが、
母親の姿が見えれば 安心します。

でも育っていくにつれ、目の前に母親がいなくても、
母親は存在していることを理解し、また戻ってくることを 予測できるのです。
しかしBPDの人は 無秩序な養育を 経験してきたために、
イメージが不安定で、一貫性のある感覚を 養うことができません。

そのため 安全なイメージの代わりに、
常に 自分を慰めてくれる 他者を必要とします。
相手が 目に見える所にいなければ、存在しないのと同じなのです。
http://shinko.cocolog-nifty.com/bpd/2008/04/post_6871.html


誠実さと対象恒常性
精神分析には「対象恒常性」という言葉があります。これは、その人が目の前にいなかったとしても、その人のことをこころの中に描き続け、思いやることができる能力のことです。乳児は目の前から他人が消えると、その人がどこにもいなくなったように感じます。「いないいないばあ」という遊びは、乳児に対象恒常性がないために成り立つ遊びなのです。

一方、大人はもちろん、友人や知人などが目の前にいなかったとしても、その人が別のどこかに存在していることを知っていますし、その人のことを思い出す事はできるだろうと思います。しかし、対象恒常性が発達している、という場合、ただその人のことを思い出すだけではなく、その人の考え方を取り入れ、自分の行動の指針とできることを指します。

例えば目の前にその友人がいなかったとして、周りの別の人が悪口を言っていたとしても、自分はその人のことが好きなので言わなかったり、反論したりする、というのは対象恒常性が発達している、ということになります。恋人がいても、浮気をしてしまう、という場合、恋人が目の前から消えてしまうとその人に対する愛情も同時に消えてしまう、というようなことが起こっている可能性があります。これは対象恒常性が発達していない、というようなことになります。

このように、対象恒常性、というものは私たちが「誠実さ」と普段言っていることの基礎になるものとなります。対象恒常性の発達のためには、他者とのやりとりの質が重要になってきます。対応がすぐに変わる人とばかり接している場合、相手の考えを取り入れることができず、自分の行動の指針とすることができませんので、対象恒常性は発達しにくくなります。一方で、一貫性のある態度の人とのやりとりを、その人のいない場面でも繰り返し考えることによって、対象恒常性は発達していきます。
http://mhcocl.exblog.jp/6000551


対象恒常性(object constancy)というのは、内面にある安心感・満足感を与えてくれる継続的な表象(他者のイメージ・意味づけ)のことなのですが、『対象恒常性の欠如』の問題があると目の前に好きな他者が実際にいて自分を認めて優しくしてくれない限りは、見捨てられ不安・孤独の苦痛に耐え切れなくなりやすいのです。

発達過程のどこかの段階で自分を支えてくれる『安定した持続的な他者イメージ』である対象恒常性が形成されないと、『目の前にいる自分を支持・肯定してくれる他人』しか信頼できず安心できない心理状態に襲われやすくなり、『クラスターB(境界性パーソナリティ)』の人格構造が作られやすいということです。

母親から十分な愛情や保護を与えてもらえない母性剥奪(mother deprivation)、両親から暴力を振るわれたり人格・存在価値を否定されたりする身体的・精神的虐待、ネグレクトなどがあると、3歳までに内的世界に対象恒常性を築くことは非常に難しくはなります。その結果として、パーソナリティ構造への好ましくない影響も起こりやすいですが、それ以後の信頼できる人間関係や人生経験、自己効力感の高まりなどによって、児童期・思春期以後にも『対象恒常性の欠如』をフォローしたり他者表象(他者イメージ)を再構築したりすることは可能です。
http://charm.at.webry.info/201112/article_13.html


対象恒常性とは、同一の物や同一の人物は同じようにありつづけるという意味を表す言葉。

対象恒常性の欠如
例えば相手との関係が良い時には相手の長所・利点だけしか認知できないようになり、相手との関係が少し悪くなると相手の短所・欠点だけしか認知できなくなる人がいるとする。それは二分法思考にあるものだと言え、一人の人間の中に良い部分と悪い部分の両方が同時に存在することをなかなか受け容れることができない事から来ている。
物事を両極端に偏って認知してしまう二分法思考の起源は、クラインが提起した乳幼児期の分裂の原始的防衛機制にあると考えられている。
(中略)

つまり、相手の全体的な人格を認識することが難しくなり、相手が自分の要求や不安を満たしてくれている時には良い人間、相手が自分の要求や期待に背いて不安感・寂しさを感じさせた時には悪い人間という風に、分裂機制を用いた認識を行うようになっている。他者に対する対人評価が安定せず、相手が過去に与えてくれた愛情や承認の効果が長続きしないのは恐らくこの為だろう、それは対象恒常性の欠如(安定した内面の他者表象の欠如)が原因と考えられる。

簡単に言うと、心の内面に『自分を支えてくれる安定した他者のイメージ』が幼児期・児童期に形成されていないということだが、この対象恒常性を形成する能力が発達していないと、いつも自分に好意・承認・肯定を与えてくれる他者がいないと心理的に落ち着かなくなってくる。大半の人が、それほど深刻な見捨てられ不安や極度の孤独感に慢性的に襲われなくても済むのは、この対象恒常性と自己アイデンティティが適切なレベルで確立されているからであろう。

しかし、他者表象(対象恒常性)と自己表象の双方が十分に形成されていないと、絶えず他者の承認・好意・保護がないと安定した精神状態を維持することができない。
ある程度の性格構造を持つ人は、目の前にいない家族・恋人・友人の愛情やつながりを過去の記憶を元にして信頼することが簡単にできるが、それは内面に対象恒常性を確立させる能力や記憶・印象・感情を保存できる能力が十分に発達しているからであり、そうでない人は、恐らく対象恒常性が欠如していて、過去の記憶や良い感情を長く保存することもできないので、極端に言えば、「365日24時間にわたって自分のことを大切に思っている・絶対に何があっても見捨てない・いつでもつらい時にはすぐに行くよ」といった直接的な言動による自己価値の保証を欲している。

問題の中核は、他者からの承認や愛情が無ければ、自己の存在価値をリアルなものとして実感することができず、空虚感や無意味感に圧倒されてしまうということにある。
そのため、対人関係による愛情・承認・保護を得られない場合には、空虚感や見捨てられ不安を補償するために、アルコール・薬物・ドラッグ・ギャンブルなどに依存してしまう危険性がある。
さらには、過去の愛情・好意・承認による安心感というのは殆ど通用しないので、絶えず今・ココの時点における承認や愛情が無いと、見捨てられ不安や孤独を和らげることができないのである。
http://humanbeingasap.blog.fc2.com/blog-entry-165.html

対象恒常性と原始的防衛機制とは、
精神内界に安定した他者表象を形成する対象恒常性の欠如という問題


2011/05/18 | Comment (0) | Trackback (0) | Edit |
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変容性内在化とは

 [ 関連用語
自己愛性パーソナリティ障害の原因の一つが「変容性内在化に失敗したこと」


変容性内在化とは


「自己対象と素の相手とのギャップへの気付き→許容度の向上」 という出来事

変容性内在化は、適度に失敗することもあるような親の元で育てば大体自然進行し、要求水準が少しずつ下がっていくが、(理想化されていた親も不完全な存在であることに気づく)急激な落胆を味わうとギャップを感じたらすぐに「裏切られた」「失望した」になってしまう人になってしまう。

コフート自身は、治療者-クライアント間で変容性内在化が起こることが大切だと説いていた。つまり、クライアントが治療者を自己対象として体験しつつ、適度な失望なり、 “雨降って地固まる”なりがちょっとずつ起こることが、自己愛パーソナリティ傾向の治療論として大切だよね、というような事を書いていた。
http://polar.shirokumaice.com/words/transmuting_internalization.html


変容性内在化というのは、現実の生活体験によって理想化されていた親(自己対象)も不完全な存在であることに気づき、親が果たしてくれていた役割・機能を段階的に自分が内在化(獲得)していくということである。

これとは逆に、発達早期の親が非共感的な反応を示して、例えば子どもを拒絶したり虐待したりすると、子どもは最適な欲求不満を経験できずに、自己対象である親の理想化に失敗することになる。
これは、自己を心理内面で安定的に支えてくれる『対象恒常性の確立(自己対象のイメージの確立)』ができないということにつながり、ストレス耐性や孤独耐性が極端に低くなって、現実的な社会生活・対人関係に適応するのが困難になってしまうことがある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/biblio/biography010.html
http://humanbeingasap.blog.fc2.com/blog-entry-145.html


変容性内在化が不十分
● 子どもは発達と同時に、現実の禁止に出会い思い通りにならないことを知るし、また、両親や周囲が自分の思い通りにならないことも知らされ、非常に辛い状況の追い込まれる。

● そんな時、失望やフラストレーションが適度であると、本人の中に理想化されている親の機能が本人の中に取り入れられる。
これが「変容性内在化」といって、人間の成長にとっての根本のひとつとなる。

● しかし、これが無関心で冷たい・禁止・ 強制的な命令・拒絶・虐待といった仕打ちだと、度を越えた不満・失望にしかならないから、当然「変容性内在化」は起こらない。

● また、逆に子供を、不満や失望をほとんど与えないような育て方をすると、これも「変容性内在化」が起こらず、成長しない。

● また、もともと適切なミラーリングや理想化が行われていなければ、「変容性内在化」が起きにくいと言われている。

● この「変容性内在化」が起きないと、いつまでたっても自信がつかず、また対象からの取り入れに執着して、他者からの評価にばかりビクビクする人間に成長してしまう。
http://blog.livedoor.jp/mental_xx/archives/6041349.html
http://ameblo.jp/myu-music/entry-10673122300.html


自己対象の定義


自分の一部であるように体験される対象のこと。
人とのコミュニケーション時によく起こる、相手が自分の延長上の一部となっている状態、感覚。
自己対象とは自己の一部であると思う外界の対象だが、自己を支える対象でもある。
要するに自己と自己愛を支えてくれる対象である。

2011/05/18 | Comment (0) | Trackback (0) | Edit |
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自己愛 無自覚型(無関心型)と過剰警戒型(過敏型)

 [ 関連用語

無関心型と過敏型


・無関心型(無自覚型 oblivious type)
1 他人の反応に気づかない
2 傲慢で攻撃的
3 自分に夢中である
4 注目の的である必要がある
5 送信者ではあるが受信者ではない
6 見かけ上は、他の人びとによって傷つけられたと感じることに鈍感である

・過敏型(過剰警戒型 hypervigilant type)
1 他の人びとの反応に過敏である
2 抑制的、内気、表立とうとしない
3 自分より他の人に注意を向ける
4 注目の的になることを避ける
5 屈辱や批判の証拠がないかどうか他人の言動に注意する
6 容易に傷つけられたという感情をもつ(羞恥や屈辱をかんじやすい)

自己愛者は大まかに上記の特徴を有する群に分かれますが、それらを一つの連続体として捉えた時に、
そのどこかに位置します。
傷つくことを恐れる回避傾向が特に強い一群は、過剰警戒型と呼ばれます。


垂直防衛と水平防衛


■垂直防衛
尊大・誇大な態度をとることで、高い要求水準をクリアしている自己対象だけを受け入れ、そうでない自己対象を眼中にいれない、または見下すスタイル
自分は褒められて当然という尊大な態度・誇大な思い込み・高すぎる理想を引き受けてくれる対象以外への敬意や礼節の欠如・自分が思ったとおりに思ってくれない、自分を誉めない対象への無視や軽蔑が強く呈していれば「垂直防衛」に合致している可能性が高い。
このスタイルであれば、自己愛が傷つくリスクは少なく出来る。
だが、この方法は人から恨みを買いやすく、友達もできにくく、自分の欠点を指摘されても認めにくく、自分と異なる意見をもつ人間と切磋琢磨したり、共存共栄の道を容認することができない。
結果的に貧困な人間関係に陥り、孤立することは避けがたい。
このスタイルを貫けるのは、稀有の才能を持ち、若いうちから著名として認められるような、「この人なら仕方ないね」と周囲が認められる世界でも一握りの人間だけだと思う。

■水平防衛
高い要求水準を相手に期待して、失望や不満に陥るのを避けるべく、自己愛を充たしたいという気持ちを抑圧するスタイル。普段は人間関係を深めることに警戒し、目立たないよう振舞うが、一旦自己対象として期待できそうな相手と認めると、とんでもない要求水準の高い振る舞いをして、相手を驚かせる。
「自分の欲求を出しても裏切られて傷つくだけ」と学習し、人との信頼的・継続的な人間関係を結ぶのは難しく、「お互いに自己愛を満たしあう」には程遠い、かなり遠い人間関係とならざるおえない。
http://ai-do.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-52a1.html
http://polar.shirokumaice.com/kohut/saiteigen06.html


誇大型と抑うつ型


誇大型→自己満足的で自信いっぱいに見え、派手に出っ張るタイプ(アメリカに多い)
抑うつ型→英雄的行為を回避し、消極的に引っ込むタイプ(スイスに多い)

両極端に見える誇大型と抑うつ型ですが、子供の頃の情緒的な見捨てられによって自己愛に傷を負い、本当の自尊心が乏しいという点は同じ。
誇大型は自尊心が空っぽの張りぼて状態、抑うつ型は自尊心がしぼんでいます。
対象に受け入れられたいという願望が、
前者は「私を拒むものに災いあれ!」、後者は「私を拒まないで!」
という形で表れるとのこと。
一つの人格の中に二つのタイプが併存することも多いのだそうです。


無自覚型と過剰警戒型


・類似性がある人格障害    自己愛性人格障害無自覚型
・顕示性           外向的
・体型           大人(たいじん)型
・気質           顕示性気質
・自意識の傾向       自分に自信を持っていてうぬぼれが強い
・対人面での性格      目立ちたがり
・対人面での態度      普段から積極的に自己主張をする
・優越感の感じ方      人より勝る事で優越感を感じる
・人間関係における願望   周りの人全てのリーダーになりたがる
・指示の出し方       リーダーシップを発揮して指示を出す
・人に従う態度       へりくだる事が苦手で人に頭を下げたり指図されるのを嫌う
・怒りを感じた時の態度   頭にくる事があるとすぐに口に出して言うか態度に表す
・悪口の言い方       頻繁に人の悪口を大勢の前で堂々と言う
・気前の良さ        気前がよく自分のグループに属する者にはよく奢ったりする


・類似性がある人格障害    自己愛性人格障害過剰警戒型
・顕示性           内向的
・体型           小太り型
・気質           内顕性気質
・自意識の傾向       根本的に自分に自信がない
・対人面での性格      シャイな性格
・対人面での態度      普段は割と大人しいが、人が集まると喋って場を盛り上げる
・優越感の感じ方      人を負かす事で優越感を感じる
・人間関係における願望   小さいグループを作ってそこでリーダー的存在になろうとする
・指示の出し方       権謀術数に優れ自分は表に出ないで人を使って目的を果たそうとする
・人に従う態度       力のある者には逆らわず素直に従う
・怒りを感じた時の態度   本当は短気だが頭にくる事があっても怒りの感情を表面に出さずに根に持つ場合がある
・悪口の言い方       頻繁に人の悪口を噂話で言う
・気前の良さ        ケチな人が多くてあまり奢ったりしない方だが自分を慕ってくる者に対しては面倒見がいい



人と接するときは絶えず演じてるよ、なんせ自分がないからね、あるいは
素の自分じゃあとても人に受け入れてもらえないことを理解してるからね、
偽りの自己というらしいけど、幼児期あたりに形成されるから、その癖は
なかなか直らないというか深く根を張っているよ。


周りの人間の言動を心の中ですごい馬鹿にして、
でも傷つけられるのは怖いから、他人の顔をうかがってビクビク接してしまう。
恥をかくのなんて耐えられないから人の何倍も消極的だし、
最近はちょっと出掛けるのも億劫。
自分より優れている人を認められない。


自分より押しの弱い人間、立場の低い人間に囲まれれば無自覚になるし、
そうじゃなければ過剰警戒になるってだけのような。
本質での違いはそうないと思うよ。


自己愛性のヤツは自分を愛しているくせに、必ず自己嫌悪があるという。
それは理想の自分と現実の自分を比べた時。「現実の自分は、ショボい」。
それが自己愛性の自己嫌悪。

それがどんどん進むと、自己愛肥大型から自己愛萎縮型に変わるのだろう。
自己愛萎縮型の代表は境界性。ボダ。
極端に自己愛が萎縮すれば、自傷などの自虐に走るヤツもいるだろう。

とにかく自己愛性のヤツは、調子がいい時はいい。
でも社会に拒絶される環境に陥ると、一気に自己愛が萎縮したりする。
中学の時は勉強ができてモテていた。そういう時はいい。
でも高校で勉強が追いつかず、モテなくなると、自己愛萎縮に陥ったりw


数年前、私の勤務することになった課に、20代前半の女子社員Aさんがいました。
色白でほっそりしていて(実際に病弱だった)、高く細い声でしゃべる人でした。

いっしょに働くうちに、Aさんが自慢話が多く、よくものに躓いたり貧血で倒れたりする場面を目にするようになりました。
自慢話も家柄自慢なのですが、「私は織田信長の子孫」というような、見え透いた自慢ではなく、「この前、実家の蔵から変わった日本刀が出てきたの、○○と関係があるみたい、うち○○の家臣だったから」などと「いかにも」といったものでした。それから躓いたり貧血で倒れたりも必ず人のいるところで、です。そのたびに誰かが大丈夫と声をかけると、大げさに顔をしかめてみせます。要するに「人の注目を集めていたい人」のようでした。

だからといって別に私が困ることはないわけで、少しうっとうしいなという程度だったのですが、そのうちになんだか回りの人たちがよそよそしいのに気づきました。「ここの課ってみんなドライなんだな」と思っていたのですが...

ある日先輩に「ちょっとミナコさん、ひどすぎない」と言われました。何のことかと思ってよく話を聞いてみると「ミナコとAが一緒に帰っていたとき、車内で気分の悪くなったAを放っておいてミナコが先に帰った」というものでした。しかもAさんは「ミナコさんに迷惑がかかるといけないと思って必死で耐えていた」と言っているというのです。

確かに数日前、私はAさんと同じ電車で帰りました。その車内で彼女は口元を押さえ、しゃがみこんでしまったのです。私は「Aちゃん、気分悪いんだったら次の駅で降りよう、そこでタクシー拾うからさ、送って行ってあげるよ」と言いましたが、Aさんは「いいえ大丈夫ですから、ミナコさん先に帰ってください」と言います。「でも」「私、他人に気を遣われるとそれがストレスになるんです。だから放っておいてください」さすがにそこまで言われると、他によい方法もないし、私の乗り換え駅が近づいてきたので先に降りることにしました。先輩はそのことを言っているのです。

同時に思い出したこともありました。私の顧客が急に来社されたとき、Aさんにコピーを頼んだのですが、それがひどくゆがんでいたので注意しました。すると謝るのはいいのですが、私が給湯室にお茶碗洗いにいくときもついてきて、「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も謝ります。こちらも何度も「いやもういいって、今度から気をつけてくれたら」と言っても、
また「ごめんなさい、ごめんなさい」が始まります。ご存知の方もいると思いますが、給湯室はだいたい女の子が数名たむろしています。当然理由を聞きますよね。すると「ミナコさんに恥をかかせてしまって、どうやったら許してもらえるか、私、私」ともう涙目。これで「お局ミナコにいじめられるかわいそうなAさん」という図式が出来上がってしまいました。

先輩の言葉からすべてを察した私はもう茫然です。
恐ろしいのは、Aさんは嘘はついていないということです。事実は事実なのですが、それを自分の都合の良い(自分が被害者でいられるような)解釈の仕方をして回りに吹聴するのです。回りの人がよそよそしくなったわけもこれで納得がいきました。

怖くなった私は徹底的にAさんを避けるようにしました。少しでも相手と関わりをもったら最後、どのような「事実」が誕生するかわかりません。幸いにも、私とAさんは担当している仕事が全く別だったため、それ以上の事態には至りませんでした。(ちくちくと、嫌なことは言われつづけたのですが。それも「私にとっては」嫌なネタで、他の誰もが嫌と思うようなネタではないんですね。このあたりも巧妙だと思います)そうこうしているうちに、新たなターゲットが出来たようでした。

常に「被害者」でいなければならないわけですから、当然、加害者も必要になってきます。次の犠牲者は上司である課長でした。そして今回、AさんにはB君という強力な助っ人がいました。B君は年齢が私とAさんのちょうど中間くらいの男子社員です。

課長はやり手でしたが、ぶっきらぼうなところがありました。例えば、新しい企画を出すと「あっそ、君がやりたいならやれば」みたいな調子です。しかしその一方で、「今度うちの○○がこんな企画出したんです。面倒みてやってください、よろしくお願いします」とあちこちへフォローの話をしてくれるといった人でした。私は1ヶ月もすると課長の性格を飲み込み、うまくやれるようになりました。しかし、自称繊細なAさんがこのような課長と普通で済むはずはありません。「課長の言葉に私、とっても傷つくんです」が始まりました。B君はAさんのこのような被害話を丁寧にきいてやり、毎日何時間も電話で、ときには明け方までAさんと話し込むようになりました。

忙しい部署だったので、残業は日常茶飯事だったのですが、「心労のあまり何もできない」Aさんの仕事を夜半すぎまでB君がしたりしていました。そのときも影のようにAさんはB君によりそっているのです。出社拒否ぎみに陥った彼女を毎日家まで迎えにいき、帰りは送っていきました。B君がAさんのことで、課長にくってかかることも多かったように思います。まさしく「共依存」といった状態でした。この課は社員同士の競争も激しく、別名「生き馬の目を抜く○○課」と呼ばれていました。B君はそういう雰囲気についていけなかったようで、Aさんの面倒を見ているときが彼自身にとっても安らいだ時になっているようでした。課長も困ったのでしょう、別の課からCさんという女性をスカウトし、AさんとB君の仕事を3人でするように、ということになりました。

しかし何ヶ月かたったある日、げっそりとした表情でCさんが言いました。「もうだめだわ、ミナコさん私あの2人とはやって行けない」何でも、2人は何でも自分達で取り込んでしまってCさんには全然仕事を渡そうせず「これは3人でする仕事でしょ」とCさんが言うとBくんは「僕達のことはあなたに関係ないでしょう」と言ったというのです。

2人の行動はエスカレートしていき、課長の上司の部長にも「課長がAさんをいじめる」と直訴したりするようになりました。課長はますます孤立し、見た目にもはっきりわかるほどやつれていきました。そして、恐れていたことが起こりました。

その日、私は課長と仕事の打ち合わせをしていました。私が根回しを頼んだ相手に、課長が「では僕が話をするよ」と電話しようと立ち上がったときです。受話器を握ったまま、課長の体がゆっくりとデスクの向こうに倒れこんでいきました。「課長!どうなさったんですか、課長!」私の叫ぶ声は課長には届いていなかったと思います。しかし、呼びかけずにはいられませんでした。「課長!」

このあたりは私も記憶が混乱してて、よく覚えていません。
ただ救急車が来るのがものすごく遅く感じられました。

課長はしばらく休職し、その後支社へ転勤になりました。AさんもB君も別の場所に異動しました。上層部がどのような調査をし、決定をしたのか、ぺーぺー社員の私にはわからないことです。

他のブサイコは、本人以外の人が皆、その異常性に気づいてて、それを他人に話しても「うん、わかるわかる大変だね」と理解してもらえますが、この場合は、「ターゲット」が決まっているので、それ以外の人には、むしろターゲットの方が悪いように思われてしまうのが怖いところです。たぶん、あのころ同じ課にいた人でも三分の一くらいは、Aさんってかわいそうと思っていたのではないでしょうか。B君の存在も、Aさんが自分を正しいと思い込むのに拍車をかけたのでしょう。普通のブサイコをびっくり箱とするなら、私の場合は、ひたひたと、気づけばまわりを包囲されているようなそんな恐怖感を感じました。

まがりなりにも上司なので、課長に同情しながらも相談にのってあげるといった差し出がましいことをするわけにもいかず、傍観者になってしまったことを後悔しています。


2011/05/18 | Comment (1) | Trackback (0) | Edit |
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嫉妬と羨望の違い 羨望の強さが破壊欲求を生む

 [ 関連用語
自己愛性人格障害者の特徴の一つが「羨望の強さ」
良い対象であるからこそ憧れ近づいたはずなのに、自分にはないものを持っている相手への怒りの気持ちが対象破壊的な欲動を動かす。


嫉妬と羨望の違い


羨望は嫉妬より激しい原始的な感情

嫉妬
持っているものを失う怖れ
自分のものだと思っていたものが誰かに取られたと感じる時や取られそうだと危険を感じる時に起こる感情

羨望
自分以外の人が何か望ましいものを我がものとしていて、
それを楽しんでいることへのへの怒りの感情であり、
羨望による衝動は、それを奪い取るか損ってしまおうとすることにある

羨望には対象をおとしめるという形をとる場合もある
他人が自分の欲しがっているものを持っているのを見て苦しめられるし、
(場合によっては対象が破壊されるまで)飽くことはないし、気に入らない

羨望は攻撃をうむ
羨望に満ちた人は、人の楽しんでいるのを見て嫌な気持ちになる。
そのような人は他人の悲惨なさまを見て、はじめて気が休まるのである。
したがって羨望にみちた人を満足させようとする努力はすべて実を結ぶことはない
「羨望と感謝」(メラニー・クライン)


羨望と嫉妬を使いわける場合、前者の方がより激しい原始的な感情であるとされる。嫉妬は、同じ社会や集団のなかで、ともに生きていく前提を当然と受け入れた上で、自分より優れたものを「うらやましい」と思うことである。これには日常の生活を活気づける肯定的な意味合いもある。

それと比べると羨望が刺激された場合には、自分より優れたものの存在を許容できなくなってしまう。内的には、自分より優れた対象を破壊してしまうこと(自分より優れた存在を意識させられることは、自らの未熟な自己愛の満足を傷つけ、強い怒りを刺激するからである)、相手に取って変わってその良きものを簒奪することについての空想が活発となる。そして、この羨望の感情に無自覚なまま、それに呑み込まれて行動することは、自分もしくは相手を著しく傷つける結果に至る可能性が高い。

Vol.149 羨望(envy)とその破壊性についての警告
嫉妬心のある人は、誰かが自分より何かしらの優位な状態に立った時に、エゴを傷つけられたと感じて苦しみます。その痛みを埋める一番簡単な方法は、他者の良いところを汚し、時には傷つけることさえするのです。例えば、友人が身体的にあるいは精神的に優れているとすると、それを批判し、中傷し、時には危害を加えることもあるということです。

大悪徳(悪習) 3(1) : XAVIERSIMBOLOS


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反共感

 [ 関連用語
「共感」
他人の幸福や不幸に対し、同じ気持ちを抱く心理状態
「反共感」
他人の不幸や失敗を喜ぶ心理状態

自己愛(ナルシシズム)の強い人ほど反共感が強い


「敗者のがっかり」見て喜ぶ脳 自己愛の強い人ほど反応大/放医研

「敗者」の悔しい表情を見た「勝者」の脳の反応を、放射線医学総合研究所(千葉市)の研究チームがとらえることに初めて成功した。

脳の前頭葉と呼ばれる部位で通常より強い電気信号が現れ、自己愛(ナルシシズム)の強い人ほど反応が大きかったという。神戸市で4日開かれた日本神経科学学会など3学会の合同大会「ニューロ2010」で報告された。

他人の幸福や不幸に対し、同じ気持ちを抱く心理状態が「共感」と呼ばれるのに対し、野球やサッカーなどの試合で勝者が敗者の悔しい表情を見て喜ぶ感情は「反共感」と呼ばれている。

研究チームは、反共感の際、実際に反応する脳の部位を確認するため、トランプで数の大きい方が勝ちとなる単純なゲームを実施。敗者の悔しげな表情を見た勝者では、前頭葉の前部帯状回と呼ばれる部位に現れる「フィードバック関連陰性電位」という電気信号が、通常よりも強く脳波計で測定された。

被験者に自己愛度を測る心理テストも受けてもらったところ、自己愛の強い人ほど、この電位が高くなった。一方、相手に同情しがちな人では、電位はあまり変わらなかった。

チームの山田真希子研究員は「自己愛性人格障害など様々な対人関係障害の病態理解につながる」と話している。



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ダブルバインド・メッセージ 二重拘束

 [ 関連用語

ダブルバインドの意味


二重拘束
二つの矛盾した命令を受け取った者が、その矛盾を指摘することができず、
しかも応答しなければならないような状態。

二重拘束(ダブルバインド・メッセージ)
①二人の人間の間で繰り返され、
②否定的なメッセージが送られ、
③それとは矛盾する第二の否定的なメッセージが同時送られ、
④どちらに反応しても罰せられ、
⑤しかもその事態から逃げてはならない


*言うことが矛盾している。
*言っていることと表情が違う。
*どちらを選んでも怒られる。

その矛盾のあるメッセージに対して反論できない、もしくは聞けない上下関係、状況であることがダブルバインドの特徴です。完全に対等で突っ込んで話し合えるのなら、解決できますから。


ダブルバインドの例


「自主的に動け」と言ったかと思うと「勝手にするな」と言い、「きちんと謝れ」と言ったかと思うと、すぐ謝った場合には「すぐに謝るな」と言います。被害者が黙って聞いているとその姿勢を突き、反論するとまた、その姿勢を突くのです。

また、被害者が毅然とした態度でいると加害者は怒り出しますが、硬直し萎縮していても加害者のイライラは増長されます。

モラルハラスメント(加害者とは)
後だしジャンケンなのだということがわかって安心してもらえるはずです。

つまり、何かいえば「何だその言い方は」黙っていれば「なんとか言ってみろ口もきけないのかお前は」
下を向けば「ヒトと話すときは目を見るもんだろ」目を合わせて話をきいてたら「なんだその反抗的な目つきは」
涙を流せば「泣けばなんでも許されるとでも思ってるのか」なきたいのを我慢すれば「こんな時に涙の一つも流さないなんて本当にかわいくない女だよな」

結局、何をしても、しなくても、徹底的に怒られるのです。

モラハラでしょうか?
例:
「私にかまわないで」
かまうと、かまわないでって言ったじゃないか。
かまわないと、人の気持ちが判らない人間とレッテルを貼る。
">なんだ。つらいときは、もっと率直にいってくれれば、いいのに"
こういう言い回しが、モラハラ加害者特有ですね。。。。
「いってくれればいいのに」=「いわないお前が悪い」
と、暗に責任転嫁していますね。
そして、実際に言えば逆ギレする。典型的だと思います。

自己愛性人格障害(モラルハラスメント)の方との距離の置き方
黙って聞いてると彼は“何も言わないってことは俺なんかには何も言う価値は無いって事か?”と怒るし、それじゃぁ・・と思って何か言えば“やっぱり、本当はそう思ってるのに言わないなんて卑怯だ”と、私にとっては屁理屈としか思えない事を何時間も言われるのでどうしようも出来ませんでした。謝っても更に怒りはエスカレート、どうすれば良いの??って途方に暮れること多かったです。
言葉ではYESのサイン、(優しい言葉で巧みに誘われました)態度ではNOのサインを(実際に会うと冷たくあしらわれる)出されるのでどっちに従っても矛盾と罪悪感が伴い身動きがとれなくなるんですよね。
特に相手の言葉より態度の方がこちらに大きく影響を与えるようです。
まるで失敗を願ってるような心配の仕方された。
「頑張れ」と言いながら内心「お前にできるわけないんだ」と思ってるような。
本当にだめだった時は「所詮お前なんかその程度なんだよ」と本気で言い放つ。
今も、会社の仕事うまくいかなかったりして愚痴漏らすとすぐ
「今の仕事はお前の手に負えないんじゃないか」という心配の仕方する。
「誰とでも自由に遊びに行けばいいよ」などと寛容なことを言うが、実際アナタが他の人と出かけたりすると不機嫌になるなど、二重のメッセージを使う

DV、モラハラ男の見分け方
「愛想良くしろよ」←→「作り笑いするな」
のループから抜け出せない
怒るのが目的の人に何いっても無駄
自己愛はまた何事もなかったかのようにAさんのところにやってきて、
以前のように親しげに話しかけたりする。
Aさんは「今さら何?」と混乱すると、その態度が気に入らん!となる。
「さみしそうだから気を使って声をかけてあげたのに」ぐらいな話になってる。

かといって、何事も無いかのように親しげに応対すると
「まだアイツは嫌われてることに気がついてない」
となって、BをけしかけてAさんを苛められる。
どう対応しようと、文句を言う。まさにモラハラ。
>ダブルバインドっていって自己愛が愛用する典型的なモラハラ手段だよ
ダブルバインドって言葉があるんですね。
早速ググってみたけど、なるほど。目からウロコだ。
「徹底的に反抗する気を喪失させることが真の目的」らしい。
先輩の話していることがさっぱりわからない。主語ナシ、脈略ナシ。なのに「ねぇ、私の言ってることわかった?」て詰め寄ってくる。うなづくと「わかったフリしたでしょ」となじられ、正直に「わかりません」と答えたらマジギレされて「二度と説明しない!」と怒鳴られた。
「どうするんだよ!」って言うから具体的に話したら
「お前の意見は聞いてない!」とか言われるwどっちだよwww
笑えば「ふざけるな」、黙れば「なんだその不満げな顔は」、
結局何やってもやらなくても怒る
社長がいつも先を読んで行動しろって言うから
自分で判断して仕事をしたら、『君はいつも勝手にやって!』と怒りだす。
社長の判断を待っていたら、『そんなこと分からんのか!』
一体どうしたらいいねん!っていつも思っていました。

パワハラ上司をぶっとばせ!
上司「なんでこうなったんだ?」
俺「~~で~~~になって」
上司「言い訳すんな」

俺「・・・すいません」
上司「本当に思ってんのかよ」

「言い訳すんな」の理不尽さ


ダブルバインドの目的


先ず、「指示に従わないことを禁ずる命令」(第一次禁止令)が発せられる。「こういうことは事前に相談しろ!(でなければ罰する)」というのが、それだ。

ミソは、条件があいまいなところだ。ここでは、“こういうこと”とはどの程度のことなのか明示されていない。明示されていないから、用心のためと思って相談に行くと、今度は「そんなこともお前は自分で判断できんのか!」と罰が下ることになる。

つまり、条件をあいまいにしておくことで、結局全ての行動を罰することができる。要は、徹底的に罰を与えて反抗する気を喪失させることが真の目的であり、その最終目標は、自分の思うとおりに動くロボットを作ることなのである。

“条件”には、もう一つ重要な役割がある。条件に合わない行動であれば罰を与えるという、一見“しつけ”のように見せることができることだ。このように、あいまいな条件は、被支配者を罰すると同時に、“外”に対してはまんまとカモフラージュになっている。これが、この手の支配が、時には隣に座っている人からも分からない所以なのである。

さて、条件とはその程度のいい加減なものだから、そのつど言うことが違ってくるので矛盾が出てくる。そこを言おうとすると、待ってましたとばかりに口封じが用意されている。

「お前のために言ってるんだ。黙って聞け!」という問答無用の強制-がそれである。この「異議申し立てを禁ずる命令」を第二次禁止令と言う。
「指示に従わないことを禁」じ、その指示に対する「異議申し立てを禁」ずるという二重の禁止令で拘束するためダブルバインド(二重拘束)と言うわけだ。
パワハラにおけるダブルバインド(二重拘束)の構造
<親、またはコーチ>なんで、あかんかったかわかるか?
<子ども>・・・。

<親・コーチ>ほんまにわからんのか!
<子ども>(しぼりだすように)○○○やったからですか。

<親・コーチ>それがわかってて、なんででけへんのや
<子ども>・・・。

こうしたコミュニケーションを「ダブル・バインド(二重拘束)」という。子どもにとっては、返事をしなければ怒られ、何か返事をしても怒られる。どう対応しても罰せられるしかない状況に追い込まれる子どもは「この人(親なりコーチなりですね)には、服従するしかない」と観念することになる。

というと「あるある! こういうの、あの糞上司のしゃべり方にそっくりじゃないか」と思われる方もいるかもしれない。実はこのダブル・バインド的コミュニケーションは、一方的な従属関係を作るための極めて有効な戦術なのだ。こうしたコミュニケーションを意図的に使って「あっ、この人には敵わない」と手っ取り早く思わせてしまえば後が楽になるのだから。

そうした一方的な関係を作ることが必要な場合に、それがダブル・バインド的状況であることを自覚した上で、期間限定的に「あえてやる」のはあり、かもしれない。しかし気をつけたいのは、そうした状況で支配的な立場にポジションをとれる人間にとっては、その関係が自分にとって絶好のフラストレーションのはけ口になりがちなことである。

なぜならダブル・バインド的状況で上位に立つことには麻薬的な快感があるからだ。この快感はある種の全能感と言い換えてもいいぐらい強力でもある。

クライアントのところで散々なことをいわれた上司が、会社に戻ってきて部下に対してダブル・バインド的会話を強いる。もとよりこれは言葉本来の意味でのコミュニケーションではなく、上司にとっての単なるストレス発散でしかない。

あるいは親が子どもに対して、また夫が妻に対して。ダブル・バインド的状況は、相対する人同士の間にほんのわずかな力関係の違いがあるだけで簡単に発生しやすい。それだけに気をつけなければならない。

ダブル・バインドの危険性


ダブルバインドが被害者に与える影響


統合失調症を作りやすいダブルバインド

1,言うことを聞かないと罰が来ます。
2,理不尽だと反抗すると、異議申し立てを禁じられます。
3,そして、逃げることができませんから、あきらめて学習生無力症になるか、表だって反抗することもない複雑なAC(アダプティッドチャイルド)の性格が形成されていきます。

*ACの特徴は↓
感情の抑制・他人の期待に添う努力・規律・いい子・穏便・波風立てず・我慢・妥協・忍耐・主体性の欠如・依存的・自縄自縛・消極的・慎重・上目遣い・長いものに巻かれろ……そして、抑圧された怒り。

実際、私も、強烈なパワハラ上司からダブルバインド攻撃にあい続けたあるとき「自分の行動が自分のものではないような操られ感」を実感したことがありました。「あぁ、これがあの統合失調症の前駆症状と言われる“妙な操られ感”か」と思ったものです。

自分の気持ちを抑圧し、自分の思いで行動することができず、ダブルバインドの使い手の操り人形(ロボット)となってしまうので、「妙な操られ感」や「自分が自分でない感じ」、「乖離感」を感じるようになります。自己の統合性が失われていくのですね。

ですから、このような支配にあい続けていれば、誰でもが統合失調症になる可能性があると私も思います。私は遺伝的にそのような素因があったわけではありませんので、環境因が大きいと思っております。
そして、ベイトソンが調べた家族のように、伝達されていく(世代間連鎖していく)のは「ダブルバインドのコミュニケーションパターン」ではないでしょうか。

統合失調症を作りやすいダブルバインド

すべての過程にわたって地雷が仕掛けてあるのです。しかもそれは避けようのない地雷であり、触れたが最後爆発するしかないものでした。もっとも安全なのは“動かないこと”しかなく活力がなくなっていきました。

ダブルバインドに遭うと、被支配者は自分の感情は押し殺したまま、一方的に支配者の感情や言い分を受け入れざるを得ない操り人形になってしまいます。その状況が長く続いていたらおそらくつぶれていたでしょう。

ダブルバインドという監獄からの脱出(PDF)
逃げられずに耐えられなくなったお子さんは、徐々に“しゃべらなくなる”“相手の話を聞かなくなる”などお母さんとのコミュニケーションを断つという方法でつらい状況に対処するようになることもあります。
怒鳴られた私はどうするかと言えば、モヤモヤしながらも、泣きたい気持ちを抑えて、必死で明るい振りをするのです。そうすると、父親はひとまず満足します。

こういうことの繰り返しで、私は子どものころから、感情麻痺を起こしてきました。辛い状況にいても、それを辛いと思う感情が麻痺しているのです。そうしないと、あの家で無事に生き抜くことが難しいからです。

ダブルバインドについて
”私は、常に相手が満足・または肯定するような行動をしなければいけない”
”自分の考えや気持ちを素直に表現してはいけないんだ・・。”
”私の心は、どこにもない・・。”
という状況から、行く先は、神経症・鬱です。
そして、ある素因を持っている人であれば、統合失調症や解離性症状が出てしまいます。それぐらい、「ダブルバインド」というのは、人の心を壊していくものだと思っています。

虐待やいじめの状況も、どこか「ダブルバインド」の状況に似ていると聞きます。「ダブルバインド」には、支配と従う関係があります。そして、従うほうの人は、支配的な人に対し、もちろん反論はしていけない状況であり、そして、支配的な関係の中で、何かあるたびに、矛盾あるメッセージと共に、禁止や否定語、禁止的態度もしくは否定的態度を、延々とされ続けます。
本当の意味で、受け入れてもらう、わかりあうということが出来ない、共感することが出来ない関係であります。

ダブルバインドとアンビバレンツ


ダブルバインドへの対処法


ダブルバインドを発する人に対処するには、相手のメッセージを受け流すようにするしかありません。相手のメッセージの真意を考えたらダメです。本人が混乱しているんですから、真意も何もないんです。

スルーして、受け流すようにします。そして、自分がやりたいように、仕事をすればいいです。
相手を支配したいという人間はよくダブルバインドを用いる。対策としては「逃げる」。しかし、職場や軍隊では逃げることが難しい。

そういう場合は、「予想外の行動」である。
(例)泣き出す。死んだフリをする。錯乱する。心臓を押さえてうずくまる。神の声を聞く。狐に憑かれる。邪気眼を覚醒させる。影羅を呼び出す。等

しかし、なかなかこういうアクロバチックな大技は出来ない。さしあたっては、始終殊勝な態度を取って、相手が疲れるのを待つしかない。

この状況になると、相手の気が済んだ時が終わった時なのである。この際に重要なのは、相手の言いなりにならない事である。辛いとは思うが、そこをなんとか踏ん張ってもらいたい。もうなにもかもどうでもよくなるかもしれないが、そう思ったら負けなのである。

他人事ではないダブルバインド その傾向と対策


ダブルバインドをする人(加害者)の原因


言動に一貫性がないのは、感情で反射的に行動しているからです。
ダブルバインドというのは、顕在意識と潜在意識が分離すると、生じやすいです。
自分で自分のことが見えていないということですね。

善人ぶったりして、自分で自分を誤魔化し、自己正当化し続けていると、顕在意識と潜在意識が分離していきます。顕在意識と潜在意識が分離すると、自分がどうしたいのか、どちらに進みたいのか、何を目指せばいいのかがわからなくなります。その状態でコミュニケーションをすると、当然、にっちもさっちもいかないような矛盾した要求を相手にも突きつけます。

ダブルバインドの上司に対処する方法


人間のコミュニケーションはほとんど大部分が非言語的なコミュニケーションによって伝えられます。つまり、音調、姿勢、表情、ジェスチャー、まなざしなどです。
たとえば「いいよ」と言ったとき、目がだめだと言っているときがあるでしょう。そのときあなたはどちらに反応しますか?いいという許可ですか?それともだめだという表情ですか?

非言語的なコミュニケーションは本音を表しています。だから良いと言われても、だめだというメッセージに反応するでしょう。そのとき、「あのときいいと言ったでしょう!なぜあなたは素直になれないの!」と叱られ、言葉通りに従おうとすると、今度は嫌な顔をされたり、じゃまされたりします。子供は言葉通り受け取ったほうがよいのか、母親の本音に従った方がよいのか混乱が生まれるでしょう。こうした表面上の言葉の意味と矛盾する無意識的な本音の両方に縛られることになります。これをペイントソンは「二重拘束」と呼んでいます。

子供は本来親から分離して「自分」を獲得し、自立してゆく存在です。しかし、親が子をいつまでもその影響の下に置こうとし、支配し、分離に対しても二重拘束的な方法をとっていると、子供は分離に際して大きな不安を経験します。「分離」というのは、それまで母親の一部であった自分が「母から別れてもだいじょうぶ」という感覚の下で、母親なしでもやってゆけるということを言います。分離を達成して、思春期の自立の準備ができるようになります。


2011/05/18 | Comment (4) | Trackback (0) | Edit |
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